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内神田美土代町会長  鈴木 光夫 氏(すずき みつお)令和4年6月就任

内神田美土代町会は、美土代町交差点の東側に南北に位置する町会です。現在の住居表示は、神田警察通りを挟んで北側が神田美土代町、南側が内神田一丁目になっています。


今回は、内神田美土代町会・鈴木会長にインタビューをお受けいただきました。
町会に真摯に向き合っている鈴木会長だからこそお伺いできるような深い話を聞かせてくださいました。
幼少期のお話は意外なエピソードが盛りだくさんです。
(インタビュー実施日 令和4年12月6日)
※新型コロナウイルス対策を実施しながらインタビューにご協力いただきました。


ご趣味についてお伺いいたします。

昔の、要するに自分が若い頃のリアルタイムで聴いていたフォーク・ニューミュージック・昭和歌謡曲、洋楽はポップス・ロック・ソウルミュージック、これはディスコやパーティなんてものによく行っていたものですから、これらを幅広く録音して聴くのが好きでした。CDやレコードを一度相当処分したんですが、また聴きたくなり中古のレコードショップに行ったりインターネットで調べて発送してもらって買っています。この前はCDをブックオフに処分しに行ったんですが、1枚1枚見ると捨て難くなってしまっって。カミさんには早く捨てろと言われてるんですけどね(笑)
 でもそれくらいかな。映画も以前は行っていましたがコロナの影響もありいかなくなったので大した趣味はないですね。

——スポーツなどはされてらっしゃいますか?
 もちろん昔はゴルフも行っていましたね。当時は高かったんですよ。ですから夏の暑い時にワンラウンドハーフかなんかを無理して平日夏休みに栃木の方とかちょっと遠くに行ってやると安かったんですよ。でも今は安くなっているみたいですね。もうやる気はないですけど、今でも見るのは好きですよ。
 後は散歩ですかね。家の周りをちょっと散歩してるくらいですが。

——散歩している中で特にお気に入りの場所などございますか?
 家が今日暮里にあるんです。なので谷中銀座なんかがあるんですがコロナの関係もありましたのであっちにはいかないようにしていつも同じ道なんですよ。西日暮里から三河島、町屋の方。神田と違って路地に入っても行き止まりになっちゃったり、真っ直ぐが少ないんですよ。道がずーっと曲がっていたり。だいぶ道も覚えましたけどね。


旅行された場所で印象に残ったところなどを教えてください。

 印象に残っているのは京都と伊勢神宮ですね。最近行ったところだと今年ご開帳だった長野の善光寺や、大阪の難波周辺ですね。私はほとんど大阪に行ったことがなかったんですよ。素通りか伊丹の空港で降りて、オフィス街って言うんですか。あそこしか行ったことなかったんですよ。この間グリコのある戎橋周辺に初めて行って。面白かったですね。後は駅に行った時に、東京では走っていない向こうでしか見られない車両ってあるじゃないですか。それとか、転落防止装置がホームドアじゃなくてカーテンみたいに上から落ちてくるんですよ。これらを見てすごく面白くて。東京都は違う日本第二の都市の姿を見つけることができました。

——何かお食べになりましたか?
 たこ焼きとか串揚げとかを法善寺横丁でいただきました。

小林会長:いろいろ食べられましたね。

鈴木会長:いやー小林さんはね、前から青年部の旅行に行ってもバスが停まるたびに串咥えてたからね。

小林会長:いやいやそんなことないですよ(笑)

鈴木会長:すごい食べるなと思って(笑)すごい印象に残っているんですよ。

 そんなわけで時間も無く食べたものはそんなに多くはなかったんですけど。後は孫に誘われてUSJに行きまして。一通りえらい待ったんですけど、4つくらい乗れたのかな?次の日は、私が京都好きなので快速電車に20分ほど乗って行きました。うちの菩提寺の住職さんが修行した寺がありまして、花園というところにある妙心寺っていうお寺で。庭があって、臨済宗の禅寺なので派手さは全然ないんですよね。そこから知恩院にいきました。長く続く階段があって、もちろん上までは登らなかったんですが、途中に大きい柱があって、よく時代劇で使われるんですよ。それでちょっと写真を撮って。そこから祇園まで行って辰巳大明神の高瀬川が流れててぐるっと回るように歩きましたね。そこからまたタクシーに乗って、四条河原町の方に行ってそちらで食事して、またタクシーに乗って地下鉄に乗って、新大阪で娘たちと待ち合わせをして帰ってきました。駆け足だったけど結構面白かったですよ。

——結構充実していますね。
 そうですね。だから中身が詰まってたって感じですね。後はお伊勢さんももう一度行きたいなって思いますけどね。でも伊勢はアクセスが悪いんですよ。一回行った時は子供を連れて鳥羽水族館や真珠の観光地にいきました。子供が大きくなると当然どこにもいかなくなってしまいましたね。

小さい頃はどんな子どもでしたか?

 学校から帰ればすぐに鞄を放り投げて遊びに行って。たくさんの友達と日が暮れるまで遊んでましたね。今みたいにチャイムなんてないですからね。

——どこで遊ばれていたんですか?
 私は生まれて育ったのが鎌倉なんですよ。鶴岡八幡宮の周辺だったんです。なので遊び場はその境内ですね。幼稚園もそこの鶴が丘幼稚園だったから。この辺で遊んでて悪いことばかりして(池で魚を釣るなど)守衛に追いかけられたり、神主さんにもこっぴどく叱られて。だけどその後、お祭りで鎌倉囃子っていう太鼓があるんですけどそれを叩いたりとか、流鏑馬の際に昔の装束を着て矢を拾うなどして。そういうようなお手伝いをしてイタズラ坊主だった自分に反省してお手伝いをさせてもらってましたね。

——鶴岡八幡宮とそんなに深い関わりがあったんですね。
 そこを通って小学校に行っていたので。私のところはもうちょっと近い小学校もあったんですけど、当時越境とかが厳しくて。線引き引かれてギリギリのところでこっち行ってちょうだいって。だからえらい歩いたんです。すぐ隣に横浜国大の附属小・中学校ってのがあって。

齊藤所長:鎌倉小学校ですね。

 そうですね。で、あそこの裏が昔お化け屋敷みたいだったんです。当時おそらく大学の体育館・校舎・宿舎(?)みたいになってたところがあって、その中で昔よく遊びましたよ。もちろん無人状態でしたけどね。体育館の天井裏に柱伝いに上ったりして。今思うとおっかないですよね。悪いことしてたなあと思います。

町会のご自慢(大切にしていること)はなんですか?

最近は町会も小さくなってきてしまったんですけど、まあ基本は町会員同士の挨拶はもちろん、近隣町会の方々とのお付き合い、結びつきも大切にしています。現在連合町会などのいくつかの町会で行われる行事などがすごい増えている現状を考えれば、当たり前のことを当たり前に行う大変さはその仕事に携わらないとわからないですよね。町会員の減少(マンションは除く)により折り合いは難しくなってきてはいるんですけど、とにかくみなさん仲良くして行きたいと思っています。

町会活動で楽しいことや、印象的だったことはありますか。

私も約40年近く町会にお世話になっているんですけど、まあ若い頃は人数もいましたからみんなで数軒飲み歩いて大きな声で笑い転げたり、旅行で大騒ぎしたりだとかやってましたけど。だいぶ周りにいた人には迷惑をかけたと思います(笑)でも、とにかくそう言うのが楽しかったです。

——どのくらいの頻度でお飲みになられていたんですか?
 事あれば仕事終わってからでもお誘いいただくごとに。お付き合いが好きだったから、結構1週間毎日行ったりとかしてましたけど、やっぱり途中からね、だんだん…

小林会長:だんだん体がね(笑)

 一人で飲みに行くのはあまりできない人間なので、誰かに誘われればとか、人に引っ張られた方が面白いんですよね。まあ今はもう引っ越しちゃったしコロナの関係もあるから、そうそう飲みはしないですけどね。でも向こうに行ってから、体重が増えちゃって。ですので、8キロくらい落としました。食事を一食抜きにして、以前はその時に缶ビールとか缶チューハイを飲みながらつまみがなきゃダメなタイプなので結局それを食べてるんですよ。だから余計太っちゃって。それをもうやめたんです。あとは散歩と、ハードなものはしないですけどラジオ体操。これはほぼ毎日。第1と第2をYouTubeとかをテレビの画面に映して、見ながらやってますよ。あれでもちょっとは引き締まるんですよ。後は簡単なストレッチ。これは2、3分ですけどね。油断すればすぐリバウンドするから、3年前に仕事をやっていた時のズボンが履けるくらいにしようと思って頑張ってみようと思っています。

齊藤所長:素晴らしい。目標があるといいですね。

小林会長:飲むのもあれですけどね、炭水化物を取らなきゃいいんですよ。

ーーでもね、取っちゃうのよ。揚げ物も好きだしね。

小林会長:おかずだけにして。お茶漬けどかラーメンとか抜いてね。

ーー前は飲んだら必ずラーメンに行っていたんですよ。そうしたらラーメンを食べるだけじゃなくて必ずビールを飲むわけですよ。ゆで卵2つくらい食べたり。あの頃はまだ若かったから循環が良くて大丈夫だったけど、今は全くね(笑) 


町会の中でのご経歴を教えてください。

 まず青年部にいました。人数が少なかったからすぐに声をかけられて。そうしたら同級生や歳の近い人がいて、話していたらファッションや音楽のこととか非常に話があったんですよ。だからそのままどっぷり入って行っちゃったって形で。そこから青年部長をやって、総務部長、副会長、そして今回の町会長という流れです。人がいないから私がいまだに人ができるまで総務も兼ねてやっているんですよ。困っちゃいますよね。今日も謹賀新年のポスターを配ってました。

齊藤所長:町会長さん自ら!皆さんびっくりされちゃいますね。

 結局ね、役員さんにはよくやってもらっていますが、他にやってくれる人がいないんですよ。若手はみんな神田に住んでいないんです。うちの事情はちょっと厳しい状態です。まあなんとかやれる範囲でおつきあいさせていただくという感じですね。

小林会長:うちもそうですけど、大変ですよね役員とかは。

ーー弱っちゃいますよね。役員をずっとやっていますもんね。

小林会長:手伝ってくれる人がいればね。補充が効かないから。

人手不足が町会の問題であるとお伺いしましたが、地区のコミュニティ活性化に大切だと思われるものはなんでしょうか。

 うちの町会は以前もこれからもマンションの建設が盛んになってるんですね。6万8000人の人口のうち1割くらいしか昔から住んでいる人がいないわけじゃないですか。そのうち毎年1000人くらいが転出されて行ってはいるが転入される人はそれよりも多いと。人口が増えているわけですけど中身が相当厳しいわけですよね。ですからあのいわゆる新住民と言われる人たちをいかに取り込めるかっていうのが大事だと思うんですが、これがまた難しくてですね。
 町会費を欲しいとかそういう問題じゃなくて、縁日がありましたお祭りがありましたっていうときに、お子さんたちがお神輿を担ぎたい、親御さんたちももちろん、そうなったらその術は持っているので、日頃おつきあいさせていただいている近隣町会さんにご協力をお願いしながらそのような話もね進めて行きたいですね。また、人と人とのつながりが難しい世の中になっていますが、できることなら新規のマンションの管理組合との連携を目指していこうかなと思っている次第でございます。

最後に神田の若い人たちに向けて一言お願いします!

 各町会若い人たちが減っている現状ですが、連合町会青年部で地域を取り込む活動を期待しています。


左:鈴木会長  右:小林会長(小川町北三町会会長)

興味深いお話をたくさんしていただきました。
小林会長との青年部時代のエピソードも大変貴重でした。

町会長以外のお仕事も多く大変だと思われますが、今後ともよろしくお願いいたします!

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