千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

小川町三丁目西町会長  岩崎 與士 氏(いわさき よし)平成15年5月〜平成28年5月

 
紫陽花が色づき始めた
梅雨入り間近の6月11日(月)午後1時
神田公園区民館2階のサロンギャラリーに久々にお迎えしたお客様は
小川町三丁目西町会 岩崎 與士 会長です。

朗らかな大きな声で何でも興味いっぱいの岩崎会長、
“今までの「町会長いんたびゅー」を見て、ちゃんと予習してきましたよ”と
さすがに「大好き神田」は毎日見ている、とおっしゃるだけあり
インタビュアーの竹内さんにも気合が入ります。
インタビュー時間は2時間で足りるのでしょうか。

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さて、町会のご自慢(大切にしているもの)はなんでしょうか。

 私自身もそうですが、ここで生まれて育った人が多く、何よりも「和」、「町内の人の和」を大切にしています。昨年作った町会創立五十周年記念誌にも書きましたが、区内の他の町会からうちの町会に移ってこられた人に、「ここに移ってきて良かった。皆が暖かく迎えてくれて嬉しかった。」と言われた時は、大切にしてきた「町会の和」が伝わったと思いました。秘訣は、簡単ですよ。しょっちゅう顔を合わせて、楽しく飲むことですね。
 町のことで現在気になることは、店舗の出入りが多いこと。オーナーが1階で商売をしている時は良いのですが、年を取って1階をテナントにして上に住むようになると、この辺りはどんどん飲み屋街になってしまいます。

町会長になって良かったこと、嬉しかったことは何でしょうか。

 一つは投票所を保健所からお茶の水小学校に移したことですね。統廃合でこれまで選挙のときに投票所だった小学校がなくなって、神田保健所まで行かなければならず、お年寄りには遠くて不便でした。もう一つは、ポストの新設です。郵便ポストが地区内に一箇所しかなくて、日常的に不便だったのを新たに靖国通り(三省堂の前)に設置してもらった。些細なことですが、町会長として様々な調整をして、その結果実現できたことが嬉しかったですね。町の中で、明らかに悪いところは行政が改善してくれます。でも、こうした日常的なことを変えるには、自分たちの町は自分たちで住みやすくしていこうという、皆さんの気持ちが大切なのです。
 ずっと住んでいる人だけでなく、新しく入ってきた人にも、この町に来て良かったと思ってもらえる町にしたいですね。

 御茶ノ水駅周辺地区生活環境美化・浄化推進連絡会の活動として、月二回タバコの吸殻やゴミを拾っていますが、最初の頃、タバコを吸っている人に注意をすると、かなりの反発がありました。今は、“わかりました”と消してくれるようになった。こうしたことも5年かかっています。継続することによって、こちらも接し方がわかるようになるし、活動自体が地域に浸透し、理解される。
 まず、行動を起こし、地道に続けていかなければダメですね。やめてしまったら、元に戻ってしまいます。

会長が町の若い人たちに期待することをお聞かせいただけますか。

 今は現青年部長が若い人を(働いている人も含めて)しっかりと掌握してくれています。小川町北部一丁目町会、二丁目町会、北三町会、そして三丁目西町会の4町会は幸徳稲荷をお守りして、合同でお祭りに参加しますが、今年はうちの町会が神輿の責任者になっていました。
 かつて神田祭は、神輿に詳しい人や趣味にしている人たちが中心になって行われたこともありましたが、今回は青年部の人たちが話し合い、各青年部長を中心に、団結してスムーズに進行でき、僕も責任者として忙しい中でも本当に楽しかった。現青年部長さんたち、そして、今後は更にその下の若い人たちもどんどん参加して楽しんで欲しい。若い人たちが、仕事をしながら、何とか気持ちよく地域で活動できるように我々が縁の下の力持ちになって、若い人たちを助けていかれたらと思っています。
(写真は5月の宮入、後ろのほうで『差せ!』と・・・)

お祭りがあって、皆がぐっと近くなるということですね。町会の中のどんな細かいことも必ず役員会で話し合って決めていくそうです。では、地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることをお聞きします。

 各地域の結びつきが大切です。そのためには町会長会議での情報交換が必要です。皆さん貴重な時間を使って出席されるのだから、行政からの報告ばかりでなく、他町会で行われていることや困っていること、やってみて良かったことを情報として持ち帰れるような会議にしたいですね。
 どんな忙しい人でも、有意義な見返りがあれば喜んで出席する。会議はやり方次第です。特に定例会というのは難しい。報告事項は全体の四分の一くらいにして、今一番重要だと思うことをどんどんディスカッションできる場にしていけば「会」は大きく発展していくでしょう。


会長のご自身のことを伺っていきます。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう。

 僕は昭和15年生まれで、姉、私、弟、妹、妹の5人兄弟です。4歳のとき疎開して、沼津の村の小学校に1年生から3年生までいました。4年生の時に神田に戻ってきて錦華小学校に入りました。小さい頃は、勉強ができる結構いい子でした。要領が良かったのですね。授業中は一生懸命教師の話を聞いています。最後に先生が必ず皆に大声で「わかったか。」と聞くでしょう?皆わからなくても黙っていますが、僕は自分がわからないと思う時には、こちらも大声で「わかりません。」と言う。わかるまで説明してくれました。だから、家では勉強は何もしませんでした。
 中学1年から高校卒業まではずっと柔道部で、「ボス」「ガンさん」なんて呼ばれていました。大学では航空部に入りました。小さい頃パイロットになりたかったから楽しかったですね。プライマリー(初級滑空機)に一人ずつ順番で乗るのですが、自分が1回乗って飛ぶためには、40人の部員が先輩後輩関係なく皆同じように39回引っ張った。そういう民主的な航空部の雰囲気も好きでした。部の新しいグライダーを購入するため、皆でアルバイトもしました。僕は暮れにデパートでお歳暮の配達をやりました。月島の配送所から勝鬨橋を渡り、銀座方面へ配達に行くのですが、荷物を積んだリヤカーを引いて自転車で勝鬨橋を超えていく時は必死でペダル漕ぎました。

 結婚は26歳のときです。両親と兄弟5人、その他に実家が注文洋服をやっていたので住み込みの職人さんが5人いました。家内は一人娘で両親と3人暮らしだったところから、いきなり大所帯の台所を任されることになりました。嫁に来て一月足らずの頃、家族13人分の夕食と翌日の昼食用の天ぷらを揚げていたのですが、あまりの多さに揚げている途中で具合が悪くなった。その頃は昼食時に店に来た近所の人にまで「うちで食ってけ。」というような時代でした。結婚式のとき、家内のほうの来賓が祝辞の中で「女性が住み慣れた家を出て、他家へ嫁ぐということは大変な勇気、それは一生続く勇気“brave”である。」という話をした。僕はこの言葉が忘れられず、夫として妻を大切にしなければという思いは今も持ち続けています。

会長のご趣味と座右の銘を教えてください。

 今は、陶芸ですね。初めて習いに行った時、先生から500gの土を渡され、これを手回しの“ろくろ”に置いて「何でも良いから目で造らず、手で造りなさい。」と言われた。この言葉がピンときて、それから7年も続いています。他にもワイン、折り紙なども得意です。
 ワインは、ソムリエになる人たちと一緒に入門コースから入り、卒業までしました。フランス語を覚えるのが嫌で試験は受けませんでしたが、利き酒では一番優秀な成績でした。皆がわからないものまでわかっちゃうんですよ。ワインは、知ったかぶりをして、あれこれ言いながら覚えた葡萄の種類や味を話題にしながら飲むのが楽しいですね。昔、清里のペンションで出されたワインが美味しくて、ワイナリーを見に行ったのですが、オーナーが当時そこでできた貴腐ワインを開けてくれた。それが、ワインとの出会いですね。勝沼の「ルミエール」というワインでした。
 座右の銘は、若い頃は「誠実」でしたが、今は「一期一会」。会うは別れの始まり、人との出会いを大切にしたいですね。(写真は、20歳の頃の友達と40年後に同じ場所で記念撮影したもの)

今日一日では、全部お聞きするのが難しいくらい多趣味な岩崎会長に、最後に「大好き神田」についてお聞きしました。

 「大好き神田」は毎朝必ず見ています。どんどん地域の情報交換の場所になって欲しいですね。特に年配の方は、嫌がらずにパソコンに触れて欲しいですね。簡単に開けられるということがわかれば、本当に便利ですから。


♪ インタビューを終えて
会長の優しい笑顔と心のこもったお話をお聞きしているうちに、あっという間に時間が過ぎていました。
『毎日ホームページをチェックしてますよ!』というお言葉を聞いて緊張しましたが、「大好き神田」を神田公園地区の情報ツールとして、今後ますます充実させていこうと改めて思いました。
長時間のインタビューありがとうございました。
竹内

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