千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

多町一丁目町会長  丸山 正彦 氏(まるやま まさひこ)平成13年4月〜平成22年5月

インタビュアーは多町二丁目のHP担当者の竹内さん。

オープンしたての齋藤コーヒー内神田店で
(5月30日に開店した内神田鎌倉町会齋藤さんのお店)
丸山会長をお待ちしました。

午後2時過ぎ 丸山正彦会長 がにこやかに店に入ってこられ
早速インタビューがスタートです。

★ ★ ★ ★ ★ ★


まず、町会長として一番大切にしていること、気になることなどをお聞きしました。

 自分としては何よりも町会としての輪を大切にしていきたいですね。各町会長さんがそれぞれの町会をまとめてくださって連合町会もまとまっていくと考えています。

 現在気になることは、地区内にマンションが建設されて新たに住民となられる方と町との関わりですね。生まれたところと同じようにここを大切にしていただき、お互いに協力し合っていくことが不可欠だと思っています。

 町会長になって良かったこと、うれしかったことは、地域のために働けること。特に連合町会長になって忙しいですが、様々な人と関わって勉強になっています。今回の子ども安全・安心パトロールについても住民の立場でできるだけ協力していきたいですね。

 今後町の若い世代の方には、町の歴史をよく振り返って学んで欲しいと思います。祭りなど町に継承されてきているものを大切にして欲しいですね。

 特に、多町一丁目は、昔から職人の町として発展してきた町です。歴史的にも火消しの「纏」を作った職人を排出し、現在も、看板、呉服そして自分の生業である印鑑というように職人がいる町です。今後も歴史を継承していく若い職人が、是非この町で育つことを願っています。先日、小川町三丁目西町会の50周年の記念誌に古い写真がたくさん載せられていたのを見ましたが、多町一丁目町会の昔の写真、特に戦前のものを集めようという話が町会で出ました。皆さんに声をかけて集めて整理して残していきたいですね。

 今、コミュニティの活性化のため各地区でいろいろイベント等が行われていますが、私は若い人にもっと頑張ってもらいたい。若い人が町のためにやりたいと思っていることには全面的に協力していきたいと思っています。

丸山会長ご自身のことをお聞きします。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。


昭和29年 札幌一条中学校2年 秋季野球大会

 ガキ大将だったですよ。
 中学1年生まで栃木の山の中で育ちましたから。ただ、近所の人からは「坊や」と呼ばれていた。自分が生まれる前に、親が一人子どもを亡くしていたので大切にされていたのでしょう。中学生になってからも「坊や」と呼ばれたのは、ちょっと恥ずかしかったですね。(写真は14歳の丸山少年)

会長の趣味と座右の銘をお聞かせいただけますか。

 趣味はゴルフですね。ゴルフ場では、ハンデキャップ16くらいまでいきました。

 座右の銘は、素直に生きたいので「真実一路」でしょうか。曲がりくねった道でも、真っ直ぐ生きていきたいですね。

これだけは譲れない、こだわる、というものはありますか。

 どんなことがあっても絶対にダメというのは「鰻」。私は、田舎育ちで、鮎などの川魚はほとんど食べられないですね。

最後に「大好き神田」についてお聞きしてみました。

 機械が苦手で携帯も持っていなくて。実は「大好き神田」は、まだ見ていないです。このインタビューが載ったら見ますよ。娘に見せてもらいます。多分このインタビューを受けた町会長さんたちは見ると思いますよ。

 「大好き神田」で各町会の自慢できるものなどが紹介されて、それが見られたら嬉しいですね。多町大通りには明治の頃に作られたレンガの下水管があるが、ホームページで公開して欲しいですね。

インタビューの最後に一言と、次の町会長さんのご指名も併せてお願いします。

 多町一丁目町会については、古くから職人を育てた町なので今後も職人の町ということを大切にしていきたい。

 神田公園地区連合町会としては、町会の規模はそれぞれ違っても、一つひとつが平等であるということを念頭において20町会で頑張っていきたいですね。

 次のインタビューですか。
連合町会の副会長さんとしていつもお力添えをいただいている司町二丁目町会の古川町会長さんに是非お願いしてください。

♪ インタビューを終えて・・・
今回、丸山会長にインタビューさせていただきましたが、“神田の旦那衆”という言葉がなんとなくわかった気がします。
一見、頑固そう・・・(すいませんっ)と思いきや、話を伺うと気さくで、でもちゃんと こだわり のある、かっこいい方でした。ありがとうございました。
竹内

 上部へ