千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

小川町三丁目南部町会長  仲谷 芳久 氏(なかたに よしひさ)平成12年5月〜平成27年4月

 
平成19年2月8日(木)、
今年最初の「町会長いんたびゅー」のお客様に、
仲谷 芳久 会長(小川町三丁目南部町会長)をお迎えしました。

各方面に見識が豊富な町会長から、
神田公園区民館2階のサロンギャラリーで約2時間、
様々なご提言や楽しく興味あるお話を伺いました。

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いつものように、町会の一番のご自慢(大切にしているもの)からお聞きしました。

 大切にしているものは、町会のシンボルの五十稲荷神社です。元々町会のお稲荷さんではなく、足利藩戸田屋敷神で駿河台の方にあったが、その昔移転して我が町会にあります。戦前は、5、10の日に市がたち大変栄えたと聞いておりますが、現在は初午を祝っています。縁日を復興したいと言う声もあるのですが。

 バブル以降、地元の老舗が随分なくなりました。東京で一番の老舗の帽子屋さんだった「田村帽子店」、医学生になったら、医学博士松下先生が書かれた辞書は著名で必読書である皮膚科医の「松下医院」、アコーディオンの修理にかけては日本一と言われた「渡辺楽器店」等のかつての老舗がみんななくなってしまいました。この渡辺楽器店の渡辺節男さんは、その道60年の熟練技術でアコーディオニストのcoba(コバ)小林さんの修理なども担当されていましたが、3年程前に亡くなられました。ご自宅には、渡辺さんにお世話になった方が今も届けてくださるアコーディオンの人形がたくさん飾ってあります。
 この3月にはミナミスポーツの本店も閉鎖すると聞いています。特色ある店舗がなくなっていく、こうした現象はやがて他の町にも波及すると思います。定住人口の回復でマンション建設が推進されても、居住者との挨拶もできず、誰が住んでいるのかさえわからない場合がある。区も議員の方も地場に住んでいる人を大切にして、まず居住継続を考えていただきたい。ただ街がきれいに整備されれば良いというものではないでしょう。古い建物が持つ魅力も生かして欲しいですね。新しいビルができても、昔のオフィスのように在勤者が100人、200人と増える訳ではない。今はすべてコンピューター管理のためほんの少数の人が勤務するだけで、地元への経済効果は少ないでしょう。何年か前に区職員が昼間人口が10万人減ったと町会長会議で平然と報告していたが、10万人と言えば地方では市の規模になる。在勤者10万人にそれぞれ3人の顧客がついて、30万人がそこで経済活動をしてくれていたとしたら大変なことでしょう。現在も区内の大企業が他区へ移転する状況が続いている。私の町でも店舗の閉店などで、そのビルに新しいオフィスが入ってきても町会には加入しない。町会員の8割が企業なので町会の収入も減って大変厳しい状況です。

これまで街の特色となっていた老舗が減っていくという現状のなかで、今後町の若い人たちに期待することは何でしょう。

 我が町会には若い人は5〜6人いますが、忙しすぎて町会活動にはなかなか関われないですね。ミーティングに出てくる時間がない。この様な環境の中で町は益々変化していき、特に企業とのより良い関係を維持し協調していくかが大きな課題である。また、町会の合併も視野に入れて欲しい。

町会長になって良かったことをお聞かせいただけますか。

 交通安全週間に、学校での取組みとして、お茶の水小学校の高学年の子どもたちが、朝の30分ほど神保町と駿河台の交差点で旗を持ち、歩行者の横断の補助を行う。“自分たちが守ってもらうだけでなく、人を守ることも体験して学ぶ”ということですが、これは私が提案して始められたことです。子供が笛を吹くと大人たちも交通ルールを実に良く守る、双方への効果は大きいですね。こうした提案を、取 
り入れていただくと嬉しいですね。
(写真は、健康優良児で小学館の月刊誌の表紙のモデルになったとき。隣の少女はファミリーホテルの小林さん)

地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょう。

 我が町会でも本来は皆さんが参加する行事などを実施するべきですが、なにしろ実際に住んでいる方が20人くらいしかいない。そして高齢の方が多い。店舗はあるが、住居は他区という町会員さんにはそうしたイベントを行うのも難しいです。
 以前に“ふらっと区長室”で「千代田区へ新しく、オフィス又は住宅を構えた方々に、区の条例で強制的に町会に加入してもらえたら良い。」と提案したが、「町会は任意団体なので条例は無理。」との回答でした。本当に人がいなくなってしまっています。“何の商売をしたらここで生活できるの”という切実な問題ですよ。
 昔は一つの事業を囲んで様々な産業が栄えた。例えば家造りでは、町には棟梁がおり、一軒の家を建てるのに大工、左官屋、畳屋など複数の業種の人が関わり、経済活動が存在し、町が成り立つ要因があった。今はハウスメーカーが独占して広がりがない。日本の伝統的な生活様式を否定した結果かも知れませんが、自然の成り行きに任せていると過疎地になりかねない。活性化については町会長会議でも話し合う必要があるし、特に若い人にはいろいろな町を見て、見聞を広げ、どうしたら良いか考えて欲しい。夕飯の買い物に三越、松坂屋・・・というのは考えられないでしょう?生活する人が実態を訴えていかないとダメだ。現場の生の声を聞きながら、区のトップや議員の方々が将来的な展望を持って、まちづくりの有識者からアドバイスを受けながら頑張っていかないと。

会長ご自身のことについてお伺いします。まず、小さい頃はどんなお子さんだったか教えてください。

 小川幼稚園、小川小学校、一橋中学で子供時代を過ごしました。呼び名は、名前の通り「よっちゃん」と呼ばれていましたが、ガキ大将でいじめっ子でした。

健康優良児でスポーツは何でもやりました。水泳、野球、中学校ではバスケットもやりました。今はハイキング程度の山歩きが趣味ですね。月に一回仲間と鎌倉の裏道を歩きに行きます。
(写真は一橋中の校庭でバスケット部の仲間と)

座右の銘と「こだわり」についてもお聞きします。

 こだわりですか。食べ物には特にありませんが、食事では雰囲気を大事にしています。お台場のお洒落なレストランにもよく行きました。あそこは車で行く人が多いけれど、本当の洒落者ではないですよ。海側から船で行くのが粋なんです。そういうお洒落を楽しみたいな。

 アート・ブレーキーが初めて来日したときコンサートで履いていたブーツがどうしても欲しくて、もちろんその頃の日本では売っていなかったから、友人と平和堂靴店に頼んで作ってもらった。ラコステのシャツなんかも横浜元町まで買いに行ったものです。座右の銘は、私は運命論者ではないですが、人には自分の持って生まれたさだめがあって、それを自分で判断しながら生きていきたいと思っています。(写真は長島氏の講演会で)


 神田の町は夜になると閑散としてしまうでしょう。私は、新しい商業施設ができるとよく見に行くのですが、そこで工夫されているものを何とか自分たちの町に取り入れられないかと考える。区内に大学があり、たくさんの学生が集まってくる。そうした集客性を利用できないか。また、箱根駅伝には千代田区内の大学が4校も参加している。もっと地域を挙げて応援し、宣伝効果を活用できないか。働きかけや努力をして、そうした利点や恩恵をただ享受しているだけではなく、もっと活用できないかと考えて私も行動しているが、皆さんにも考えていただきたい。箱根駅伝で日大が優勝したら、警察に協力をいただいて、駿河台校舎から市谷の日大本部まで提灯行列をやりたいですね。地域の持つ特性を生かしながらの活性化を目指したいですね。

最後に「大好き神田」についてお聞きします。会長は、「大好き神田」をご覧になりますか。

 「大好き神田」は最初の頃は見ていましたが、最近は見ていない。私が、以前に提案したように、町会長さんたちにパソコンの操作を教えなければ皆さん見ないですよ。一生懸命記事を書いたって、肝心の町会長さんたちが誰も見ないのでは仕方がない。掲載する情報は、区内外を問わず取材し、掲載する。例えば、丸の内に新しくできた店舗や防衛庁跡地の再開発の状況を伝えるのも面白いでしょう。各町会の担当者が皆で汗をかかないとダメですよ。相手を巻き込んで、できない人にも親切に教えていかなくては。




貴重なご意見を多岐にわたりありがとうございました。
次回は、小川町北部二丁目町会 小端会長へインタビューさせていただく予定です。

 
♪ インタビューを終えて
「地域を考えるなら、まず自分の目で他地域の商業施設、観光地などの賑わいを見て学ぶべき!」と、ご指導をいただきました。会長ご自身も、多岐にわたり見聞を広め、コミュニケーションを広げていらっしゃるご様子でした。
私もインタビュアーとしてさらに勉強していきたいと思います。
ありがとうございました。
竹内

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