千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

小川町北部一丁目町会長  奥津 清 氏(おくつ きよし)昭和60年4月〜平成21年6月

第3回目となった町会長いんたびゅーの今回のお客様は
奥津 清連合町会副会長(小川町北部一丁目町会長)です。

8月2日午後2時のお約束で、少し早めに町会長のお店
(「八百清」という八百屋さん)を覗くと
もうすっかり出かける用意をされてお待ちいただいており
早速近くのハミルトンインのコーヒーラウンジでインタビューを始めさせていただきました。

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町会の一番の自慢、大切にされているものは何でしょう。また、町のことで現在気になることがありましたらお話いただけますか。

 ご覧のように世帯数の少ない町会です。何か形でりっぱな物はないですが、自慢は町会の「和」(なごみ)ですね。町会員のほとんどが役員になっていますから、皆で協力して町会運営をしています。本当は、飲食店などの事業所の方が町会に加入してくださるともっと活気付くと思いますし、最近気になっているゴミの出し方のことも話し合いができるのでしょうが。なかなか難しいですね。

 町会長になって良かったことですか、先代の町会長が亡くなられた後、急に私がお引き受けすることになったのですが、町会長の器とは思っていませんでしたよ。かつて親が町会長をやっていた時も、自分とは全く無縁のものと思っていたくらいですから。

 それが、昭和60年からですから、かれこれ20年も経ってしまいました。そういえば家内も婦人部長を20年やっていますね。
 
 昭和60年に、それまでレンタルだった神輿を4町会(小川町北部一丁目、北部二丁目、北三、三丁目西)で作りました。それからは4町会のまとまりがずっと良くなりました。特に若い人たちの団結が良く、祭の時は助っ人の担ぎ手を頼まなくても自然に集まってくるんですよ。これはずっと続いて欲しいし、単一町会ではアピールすることがなくても、4町会として誇れることですね。

 町会長になり立ての新人の頃は、黒川さん、吉澤さん(共に元、司一町会長)、齋藤さん(元、多町二丁目町会長)などの諸先輩にいろいろ教えていただき、皆さんに可愛がっていただいたものです。そう言えば、その頃は、家業が忙しくて連合町会の研修旅行は私の代わりに家内が全部行っていましたね。
 
 今は宮越さんと私が、最年長になってしまいましたが、昔は揉め事も難しい問題もなく恵まれていました。苦労はしていません。

会長ご自身のことをお聞きします。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう。また、座右の銘がありましたら、お聞かせください。

 小さい頃は…そうですね。男4人、女3人の7人兄弟の長男で、下の子の面倒に追われていましたね。ニックネームは、特にないですが、自分の名前が清(きよし)なので「セイさん」と呼ばれていました。

 私は大正14年に、千代田区で八百屋を営んでいた家の長男として生まれました。私で二代目です。今の場所には昭和13年に来ましたが、その前は小川町二丁目でしたから、生まれてからずっと神田です。戦争前はどこも景気が良く、人を使っていました。父親の時代にはまだ多町に青果市場(昭和3年に秋葉原に移転)がありました。

 この辺りは、新潟の方から呉服の生地等を泊りがけで買い付けに来る商人を対象にした旅館が多く、うちも朝早く大八車で市場まで買出しに行き、夜は遅くまで白菜などの漬物を仕込んだものです。(写真は昭和20年3月 20歳で出征)

 昭和18年に私は戦時中の繰り上げ卒業で、三菱商事に務めることになり、毎朝丸の内まで歩いて通い、帰ってくると家業を手伝いました。昭和20年終戦の年の3月1日に徴兵され、柏に内地勤務になりましたが、その10日後は東京大空襲がありました。写真は、出征のとき記念に写真館で撮影したものです。終戦を千葉の航空隊で迎えましたが、その頃はもう飛行機はなかったです。青春時代のほとんどが戦時中でしたから、座右の銘と言うのかどうか、「質素と倹約」を基本としてきました。医者に通ったことはありません。たった一度歯医者に行ったきりです。昔の人間だから芯が強いのでしょう。それと粗衣粗食が良いのでしょうね。

 趣味ですか。本が好きなのですが、目が悪くなったので今は新聞を隅から隅まで読むのが日課になっています。時事問題が好きで、よく家で家内と話をします。商店街を歩くのも好きで、休日には各地の商店街を見に行きます。巣鴨、武蔵小山、中野、吉祥寺、その他新聞で見たところには直ぐ行ってみる。亀戸、北砂の商店街なんかは賑やかで活気があって好きですね。行ってちょっと買い物をしてきます。好きな甘いものなどを買ってきます。

 以前は、この辺も商店街として活気があり、レコード屋、とんかつ屋、クリーニング、魚屋、八百屋は4軒、旅館は5〜6軒もありました。そうそう、今の家は築75年になりますが、柱なんかしっかりしていて、通る人が眺めていきますね。

明るくアクティブな奥津町会長に、思わずその元気の秘訣なども聞いてしまいました。

 まず歩くこと。それからいろんな事に興味をもつこと。私は、その辺で見る英語もすぐ覚えてしまう。わからないと辞書で調べます。テレビの漢字クイズとか大好きで、テレビが普及したばかりの頃は二度ほどNHKの番組にも出ました。著名人が回答者になる、確か高橋圭三さんが司会の「私の秘密」(1955年〜1967年放映)という番組に、職業を当てられる側で出演しましたが、最初に手だけを見せたときは、銀行員ですかと言われたのを覚えています。

 実はクイズ番組は今でもすぐに応募しちゃうんですよ。児玉清さんの「アタック25」にも何度も応募してるけれど、予選で落とされてしまう。時事問題は得意なんだが、最近の音楽や芸能分野がダメですね。

これだけはゆずれないというこだわりがあれば教えてください。

 皆からガンコとよく言われます。何か主張してしまうんですね。最近年のせいか、特に批判的になってきた気がします。政治や世の中の体制に対して。区役所にもかなあ。

 20年間町会長をやらせていただいてその間、出張所長も10人くらい代わりましたね。先日、前所長がプールの問題でテレビに出ていましたが、昨年の連合町会50周年式典でお世話になったことなど思い出して懐かしかったですね。面倒見が良い所長さんでした。

「大好き神田」についてお聞きしました。「大好き神田」はご覧になりましたか。

 「大好き神田」は見ましたよ。パソコンが家に無いのですが、本当はインターネットをやってみたいですね。教えてもらえばできちゃいますよ。「大好き神田」には、やはり、地区の大きなイベントから各町会のイベントまで、それから、美味しいものの店とかが掲載されるといいですね。継続していくものだから、皆が興味があるものを載せて欲しいですね。

最後に、地区のコミュニティ活性化についてお聞きしました。

 コミュニティ活性化は、まず、行事に参加することですね。特に若い人には、できるだけ地域のイベントに参加していただきたい。そう言えば、現在、隔年で実施している天下祭は会場が日比谷公園でしょう。外からは人は集まるが、神田地区の年寄りはなかなか行かれないですね。靖国神社境内のほうが参加しやすかった。イベントはやはり誰もが参加しやすい場所で、参加しやすいものをやっていくということが大切ですね。

ありがとうございました。

「町会長いんたびゅー」次回は、錦町一丁目町会、熊井實会長をお訪ねする予定です。

♪ インタビューを終えて
笑顔の優しい穏やかな奥津町会長
お元気の秘訣は、いつまでも少年のような好奇心と行動力なのですね。
ご自身のことを話されるときの、照れ笑いが印象的でした。
ありがとうございました。
竹内

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