錦町二丁目町会長 南部 明夫 氏(なんぶ あきお)平成17年10月〜平成28年3月
第5回目町会長いんたびゅーは、秋も深まりつつある10月12日午後 南部 明夫 会長(神田錦町二丁目町会長)を 神田公園区民館2階のサロンギャラリーへお招きして行いました。 お約束の時間より早めにいらした町会長は 1階に展示しているこれまでの4回の町会長インタビューの記事を 何やら真剣にチェックされているご様子。 緊張されているのかなあとちょっと心配しましたが その後のインタビューでは南部会長の明るいお人柄と趣味の多さに 事務局側はすっかりペースをのまれてしまうことになりました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
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南部会長が町会で気になることはなんでしょうか。
![]() それから、どこの町会でも共通の問題だとは思うのですが、やはり町会内に若い人がいなくなってきていること。商売をやっている人も区外から通勤しています。マンションができても、住んでいる人は町会には加入しない。どんな人が住んでいるのかも把握できない状況です。 |
![]() (写真は昭和59年9月の町会の旅行会(韓国)) |
小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう?
昭和9年に神田須田町で生まれました。千桜小学校1年生の時のクラスは男子8人、女子20人で、近所でも女の子が多かったですね。小学校の頃から釣りばかりやっていて、勉強は全くしませんでした。当時は、はぜ釣りなどに夢中になっていて、宮城(きゅうじょう:皇居)で鮒を釣って食べたりもしました。 空襲で須田町の家が焼けたため、5年生の時に一時母方の実家の福井県の小学校に編入しましたが、皆素朴で親切で、今のようにいじめ等もなかったですね。戦後、現在の錦町二丁目でバラックを建てて両親が印刷屋を再開しました。当時の町は焼け野原で何も無く、小学校からの帰り道、神田警察通りを鍛冶町の交差点から司町の交差点までの間に富士山が見え、毎日眺めていたせいで富士山が大好きになりました。 今川中学の一期生で、高校は錦城高校。高校の面接で、この学校を選んだ理由を聞かれ、交通費がかからないからと答えて笑われました。 |
趣味はなんでしょうか。
![]() (写真は昭和43年新潟で) |
![]() あの頃は、三越の屋上でいろいろな珍しいペットを売っていて、アロワナを飼ったこともあります。今は屋上に、小さい果実園をこしらえて、サクランボやみかん、銀杏を作っている。食いしん坊だから食べたくて全部自分で世話をしています。 (写真は鯛釣り20年程前に葉山沖で) |
座右の銘がありましたらお聞かせください。また、「これだけは・・・」と、こだわるものは何かありますか。
座右の銘は「努力」ですね。人生は毎日が勉強だと思っていますから。こだわりとか好き嫌いはないです。 |
![]() HPに今後期待することは、わからないなあ。 町会内に小さい子どもはいないし、イベントも今は実施していないから。 ビーフシチューが美味しい、知る人ぞ知るというような店はあります。あとは昔からやっている模型関係のお店とか。実は、洗い張りの仕事を請け負う職人さんもいるんですよ。 う〜ん。まとまりがつかないから、あとは事務局で上手くまとめてください。(笑) ありがとうございました。 次回は、錦町三丁目町会 中澤会長をお訪ねする予定です。 |
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