小川町北三町会長 小林 泰治 氏(こばやし たいじ)平成25年6月〜令和元年6月
![]() ![]() 写真は、小川広場。小川広場は町会のコミュニティの場として、また、雪だるまフェアなど商店会のイベント会場としても利用されています。 |
趣味は何でしょうか。どういうところが面白いのでしょうか。
小さい頃から野球に夢中で、特に��阪神タイガース”の大フアンでした。 かつては、町内に��小川ファミリーズ”というチームを作り、区のソフトボール大会で準優勝したこともあります。 麻雀は、町内の好き者同士で機会のあるごとにやっておりますが、一人欠け、二人欠けして、今は四人揃えるのに四苦八苦しております。サラリーマン時代の上司に教わって始めた囲碁は、知人、ホテルのお客様との対局や、テレビの囲碁チャンネルなどを見たりして今でも続けていますが、区の老人大会で優勝したこともあり、自称三段です。 競馬は、土日の中央競馬のみ、スリルとロマンを楽しんでおります。 そのほか、映画よりは、もっぱらテレビの時代劇チャンネルが専門で、池波正太郎の「剣客商売」「鬼平犯科帳」のフアンです。 |
小さい頃はどんな子どもでしたか。
出身は兵庫県但馬の国(現在の豊岡市)の小京都 出石です。出石は、大河ドラマ「八重の桜」の八重の最初の夫、川崎尚之助の出身地です。 小さい頃から野球少年で、地元の子どもたちを集めては神社の境内でボールを追いかけて遊んでいました。4年生の時、夢中でフライを追いかけていて6年生のピッチャーと正面衝突をしました。ぶつかった瞬間に気絶して、気が付いたときは目の上に大怪我をしていましたが、正に目から火が出るというのはこういうことかと、後々思いました。 魚とりにも夢中になり、毎年旧盆に帰省するたびに、孫たちに昔取った杵柄を披露しておりましたが、兄弟全員が都会に出てしまうことになり、今年やむなく家屋敷を処分し、墓も東京に移転したため、今では田舎に行くこともなくなりました。 |
![]() そうこうしているうちに、ひょんなことから神田の旅館の一人娘と縁があり、4人の子宝にも恵まれました。 (写真は、剣道部の合宿(天目山)で。後列右から二番目) |
![]() 小川小学校創立80周年記念事業などに一緒に携わっていく中で、地域の方々の学校に対する熱い思いや��江戸っ子気質”にも触れることができました。 その後の“小川剣友会”の創設、小川祭、神田祭を通じて地域の方々との懇親も深まり、更に、町会の青年部、青少年委員・補導員活動を経て益々神田が好きになり、今では根っからの神田っ子然としております。何か神田との浅からぬ縁を感じております。 |
町会のご自慢(大切にしていること)は何ですか。
![]() 2年に一度の神田祭も青年部、婦人部を挙げて盛大に執り行うことができました。 町の変遷とともに、住んでいる方の引越しがあったり、町会の構成も変わってきますが、神田の良き伝統である「去る者は追わず、来る者は拒まず」の精神で、新たにお迎えした皆さんと協力しながらやっております。今年の10月には、“親睦”と“60周年記念事業の一環”を兼ねて、昔から江戸っ子の一生の夢だった「お伊勢参り」を企画しております。楽しいイベントになるものと期待しております。 |
地域のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょうか。
![]() 昨年、小川広場で実施した小川町北部四ケ町の納涼会では、和気あいあいとした雰囲気の中で防災訓練も兼ねた、はしご車体験や初期消火訓練も行い、好評を得ました。昔はどの町にもあり、何かの時に人が集まった“空き地”として、この小川広場で、“集い”、“顔を合わせる”ことを大切にしていきたいと考えています。 |
神田の若い人たちに一言お願いします。
![]() (写真は、青年部長のときのもの、神輿の先棒を担いでいます。) |