神田橋町会長 堀田 暁 氏(ほった さとる)平成21年5月〜平成24年4月
第23回目の町会長いんたびゅーは、 師走も間近な11月29日(月) 神田公園区民館2階のサロンギャラリーに 神田橋町会の堀田 暁 町会長をお迎えして行われました。 神田橋町会は区営内神田住宅に入居されている住民の皆さんで 構成されている町会です。 インタビュアーの斎藤光治さん(内神田鎌倉町会)が 堀田会長さんからお話を伺っていきます。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
現在、住宅町会さんには何世帯くらいの方が加入していらっしゃるのですか。
堀田会長: 約85世帯が町会に加入しています。自治会は、共益費を集めて住宅の共有部分の維持管理を行うため入居者全員が加入していますが、町会の加入は任意です。 私は住宅ができたときから住んでいますが、昔は子供たちが多く、60名近くいました。私と同じフロアで当時からお住まいの方は2世帯です。あとは皆さん替わられてしまいました。間取りは、2DK、3DKと、ファミリータイプが多いのですが、全体に高齢化してきていると思います。 斎藤さん: 居心地はどうですか。 堀田会長: 大きいスーパーが無いことが不便ですね。私は、買い物は大手町や日本橋まで行きます。 斎藤さん: 前会長(須永忠雄氏)さんのインタビューのお話の中で、「町会活動を手伝っていただきたい中堅の年齢の方が、転居されてしまうことが多い。」と言われていましたが、これはどんなことをおっしゃっているのですか。 堀田会長: 内神田住宅は、区営住宅ですので、入居条件の一つに所得制限があります。若い方が中堅になって世帯の収入が増えた場合、入居条件に合わなくなって転居されるのですね。 また、入居してこられる方も、千代田区に3年以上住んでいる方に限られていますので、前住所にお店があったりして、そこで町会に入られていることが多いです。 神田橋町会ができる前は、住宅の方は皆さんそれぞれ美土代町会さんや鎌倉町会さんに入っていました。私も鎌倉町会さんのお神輿も担がせていただきました。半纏も作りましたが、今はもう担げなくなりました。ちょっと寂しいですね。 |
ご出身はどちらですか。
堀田会長: 昭和16年に神戸で生まれました。鉄鋼会社勤務だった父親の仕事の関係で神戸と大阪で暮らしましたが、3歳のときに、母親と祖母と3人で淡路島に疎開し、中学の終わりまでそこにいました。子供の頃の思い出は、淡路島の田舎での生活が多いです。 大学を卒業後に、東京の服飾会社に入社しました。当時はアイビーファッションの全盛期でアイビーが大好きでファッション関係の仕事を選びました。 写真は40年くらい前のものです。服飾会社ですから、周囲にはおしゃれな人がたくさんいました。 ところが、入社8年目くらいのときに、それまでの百貨店の営業担当から、会社の不動産部建設課に出向になってしまい、おしゃれが好きで入社したのに、まったくかけ離れた不動産の勉強をするために学校に行くようになりました。 土地の売買や担保設定、賃借権などで法律の勉強をものすごくさせられました。そのうち、自分でももう少し詳しく学びたいという気持ちになり、日大の法学部に学士入学しました。その間、宅建、マンション管理業務主任者の資格を取ったり・・・、面白かったですね。今でもあの頃の勉強が役に立っています。 斎藤: 日大の法学部あたりから千代田区とのご縁があるのですね。 |
堀田会長さんは何がご趣味ですか。
堀田会長: ランニングが趣味で、毎月100キロを目標にしています。土・日の日中は10〜12キロ、平日の夜は5〜7キロ走ります。最初はスポーツクラブでランニングマシンを使っていたのですが、面白くなくなって皇居を走り始めました。マラソン大会にも参加しますが、一番初めは確か10キロの荒川市民マラソンに出ました。湘南ビーチマラソンという二宮(神奈川県)の海岸を走る大会があって、文字通り砂浜を走るわけですが、砂浜は水気を含んでやわらかくなっているので少し乾いた所を走ると今度は石ころがごろごろしていて、走るバランスをとるのが難しく、それが却って面白かった。海水の浸食が大きくなり中止になってしまいましたが。 走っているときは苦しくても絶対に止まりません。上り坂を走っているときに止まってしまったら、これまでの良いことがすべて御破算になるような気がします。(笑) 斎藤: ランナーはいろいろなことを考えて走っているのですね。今度皇居周辺でランナーを見かけたら、何を考えているか聞いてみたいですね。 堀田会長: 今はランナーが増えて特に会社のノー残業デーの水曜日が多いですね。周辺にシャワーを浴びられる施設ができています。稲荷湯さんも一杯で地元の人が入れないことがあるそうです。 |
堀田会長: 他には、乗り物のミニュチュアを収集したり、まだまだアイビーに凝っていて、当時のVANジャケット、リーガルの靴、レジメンタルストライプのタイなど、人が何と思おうとこだわってしまいます。 私くらいの年齢になると、後10年、5年のスパンで人生の生き方を考えることがあります。 同僚や友達が脳梗塞で倒れたりするのを聞いたり、自分の母親が寝たきりになったのを見てきました。寝たきりの介護は家族にとって大変な負担になります。私は、子供が一人なのでそうならないように健康には気を配っています。まず、足腰を強くして…骨密度なども気にしています。煙草や酒も飲みません。会社でも堀田さんは一番元気だねと言われます。 |
現在気になることはありますか。
堀田会長: 個人の生活(仕事)と地域のコミュニティへの貢献のバランスが難しいですね。今は毎月の定例町会長会議とその他臨時の会合などで月2回仕事を休んでいます。会社には2年間の期限付きで了解をもらっています。地元でご商売をなさっている方は、仕事とコミュニテイが一体になっている部分があるのでしょうが、サラリーマンだと仕事との両立が難しい。 斎藤さん: 仕事とのバランスをとるところでご苦労されているんですね。青年部長さんたちも、家業を継いでいる方は良いですが、サラリーマンの人は大変です。地域の活動をみんなとは中々一緒にはできません。 堀田会長: なかには町会の仕事はもとより、コミュニテイには参加したくないし、できないという方もいるのでしょうね。 斎藤さん: 平場での人との交流を避けて敢えてマンション住まいをされる方もいますね。 堀田会長: 人の生き方はいろいろですが、人間は全く一人で生きていけるというわけではない。年をとったら、介護付きの高い施設に入って誰にも世話をかけないという人もいるかも知れませんが、それはほんの一部です。親、兄弟、ご近所に住んでいる方、どんな形でも人との関係、コミュニティは必要だと思います。 (左は、10月の区民体育大会で綱引きに参加するところ、中央が会長) |
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