錦町三丁目第一町会長 堀井 市朗 氏(ほりい いちろう)平成19年5月就任
平成21年1月10日(土)午後2時、 神田公園区民館2階のサロンギャラリーに お迎えした第18回目の町会長インタビューのお客様は 錦町三丁目第一町会の堀井 市朗会長です。 堀井会長は、神田錦町「更科」の4代目 平日は夜8時過ぎまでお店があるため 今回のインタビューは土曜の午後、静かな神田で 少しくつろいだ雰囲気の中で始まりました。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
錦町三丁目第一町会として一番大切にしているものは何でしょう。
「人の和」ですね。46年前、昭和38年に錦町三丁目町会から独立したとき、町会員同士の固い結束のもとに誕生したのが今の「第一町会」なのです。かつては町会単独で神輿を出し、宮入をした華々しい時代もありました。 それがバブルを迎え、町会内にワンルームマンションの建設が続いた頃、昔から住んでいた町会員がどんどんいなくなって、一時は町会としての構成が難しくなり、町会活動も停止せざるを得なくなりました。それが今から2年前、私が町会長をお引き受けした時です。 現在はまだ町会として再出発したばかりで、自分にそれだけの器量もないので辛いところですが、町会の皆さんやこれまで町会の行事にも無縁だったマンション住民の方の参加・協力なども得て、少しずつですが新たなコミュミテイが形成され始めています。つくづく人との出会いや付き合いの大切さを感じますね。何年、何十年後には何とか上手くいっているような気がしています。町会として一番大切にしているものは「和」、「和をもって貴しとす」ですね。 |
町のことで現在気になること、町会長になって良かったことを聞かせてください。
町会には店をやっている家が多かったのですが、バブル以降、店の変遷が激しくなりました。 特に飲食店の移り変わりは激しいですね。土・日に客足がないので月20日で商売をするとなると、神田で店を構えて高い賃料を払うのは難しいです。浅草とか上野には「場所の力」というものがある。正月三が日に浅草に行ったら、参拝客で賑わっていたが、神田に帰ってきたら人影もない。 昔は半径100メートル以内の人を対象に商売をしていれば良かったのですが、今はその何倍も何十倍もの大きい圏内で客を呼び込まないと商売が成り立たなくなっています。 昨今の神田の蕎麦屋は大晦日の年越し蕎麦もやらずに休んでしまう店が多くなりました。人がいなくて商売にならないんです。片や知名度のある「やぶそば」や「まつや」は大晦日に行列ができテレビ中継されるほどです。 私はもっと外の人にも神田にはこんなに蕎麦屋があるということを知ってもらい、来てもらいたい。「江戸神田蕎麦の会」では「江戸老舗 神田蕎麦地図」というものを作っています。「やぶ」や「まつや」に来た人が置いてあるそのマップを見て、もう一軒寄ってみようかということになり、“美味しいじゃないか”ということになればしめたものです。同じようなメニューを揃えて、商品として差異がないなら、売り方を考えればいいんです。マップが努力するきっかけになればと思います。 斎藤さん:神田に住んでいる私たちは普段は近くの蕎麦屋に行くけれど、地方から出てきた友人などは、やはり知名度のある店に行きたがりますね。やはりブランドなんでしょう。そうなるためにはやはり相当の時間もかかるし、それなりの品質もサービスも要求されますね。景気が低迷しても、食べ物は買い控えすることはできないので、飲食については、研究して良いものを提供していけば必ず続いていくと思います。 |
昨年10月に錦町三丁目第一町会の飲食店のランチマップを作りました。町会内の一軒の店にきたお客がそれを見て、次は隣の店にも行ってみようかということになれば、お店のPRになる。町会には店舗が多いので、町会としてお店のPRをしてバックアップしたいと思いました。 作るときにお店の方に声がけしたことがきっかけになって、最近は『町会で何かあったら協力します。』と向こうからも声をかけてくれるようになりました。 また、初めて町会のレクリェーションとしてバスハイクも実施し、今まで町会に入っていなかった人たちにも参加してもらいました。他の町会を見ていると、まだまだだと思いますが、楽しんで少しずつ特色あるオンリーワンの町会にしていきたいです。 |
楽しいことがあると皆さん町会活動に参加するし、準備のお手伝いもしてくれるのでしょう。でもどこの町会も苦労していると思いますよ。店も昔は人を使っていて旦那さんは日中出歩くこともできましたが、今は自分で動いていますからね。今後町の若い人たちに期待することは何でしょうか。
若い人たちには、良い意味で暴れて欲しいですね。町を変えるくらいの力で仲間を募って新しい何かをして欲しいですね。 平成17年3月に実施した神田公園地区の地域活性化事業「神田っ子養成講座」は、地元も地域外も関係なく子どもたちを集めて、みんなでお祭りの作法、帯の締め方、半纏の着方、神輿の担ぎ方を習おう、そして「神田っ子」を作ろうというイベントでした。各町会の青年部長が中心になって企画し、連合町会全体で取り組み、約200人が参加する大イベントになりました。その時一緒に頑張った仲間(他の町会の青年部長たち)との交流が今でも続いています。 私が初めて連合青年部長会に行った時は、他の町会の青年部長から“中学が同じだから、俺の後輩だ”と言われて嬉しかったですね。 今の子どもたちは同じ学年の子としか遊びません。兄弟も少ないので学年が違うと近所にいても“知らない、見たことがない”と言う。自分たちが子供の頃は高校生から幼稚園の子供まで一緒になって遊んでいた。インターネットも大事ですが、やはり人と会って、話をしてみて初めてどんな人かが理解できる。若い人には多くの人と触れ合う機会を持って欲しいです。何か地域参加型のものを実施する機会がもっと町会や連合町会にあればいいのですが。 地区のコミュニティの活性化に大切なことは、その中で培われる行動力と説得力、根回し、志、それから自分が夢を持つということだと思います。 |
小さい頃はどんな子どもでしたか。
歯がモグラみたいに出ていたので「もっくん」と呼ばれていました。すごくおとなしく、地味で恥ずかしがり屋の子どもでした。いつからこんなにしゃべるようになったのかな。人間の性格って不思議ですね。それが町会の青年部や蕎麦屋の組合という“組織”の中に入って、その中で働くこと、力を合わせること、お祭りで発散することなどの楽しさを知りました。それがあったおかげで今の自分があるから、そういう、皆が集まる場を作ってあげたいですね。 |
若いころは“No2”というものに憧れていました。独身で二枚目、強いけれどちょっとふざけたところがある水戸黄門の助さんのようになりたいと思っていました。今でも“No2”になりたいですが、まず“No2”が惚れるような“No1”がどこかにいて欲しいですね。 (写真は、平成8年5月の神田祭に町会単独で宮入をしたときのもの) |
大好き神田はご覧になったことはありますか。今後どんな情報が見られたら良いと思いますか。
自分ではインターネットはやらないので、子供がパソコンを開いたときに見せてもらっています。インターネットも大事だと思いますが、専属の人がいて常に更新しなければ読者が離れてしまうので継続が難しいと思います。紙ベースのほうが浸透性があると思うし、アナログ人間には楽です。 今後載せてほしいものは、やはり飲食店の詳しい情報ですね。 |
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