多町二丁目町会長 寒河江 清夫 氏(さがえ きよお)平成18年5月〜平成26年11月
平成20年6月13日(金)午後3時、 神田公園区民館2階のサロンギャラリーに にこやかな笑顔でお見えになったのは、 第15回目の町会長インタビューのお客様になる 多町二丁目町会の寒河江 清夫会長です。 インタビュアーの斎藤さんとは、青年部長、総務部長の頃からの旧知の仲。 和気あいあいとした雰囲気の中で早速町会のご自慢からお話しいただきます。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ |
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多町二丁目町会さんは、ご自慢がたくさんありますね。大神輿、松本さんの家、また、鳥正、塩栄、石川豆腐店(越後屋)など自慢できる古いお店もありますね。
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でも、何といっても一番の自慢は、昭和41年の住居表示が実施されたときに、町名を変えなかったということでしょう。当時の町会長、斉藤政吉氏が“歴史ある町名は絶対に変えてはいけない”と強く言い、役員たちにそれを示して、それが町会の意見としてまとまりました。もしその時、議論を尽くせとなれば議論したのでしょう。 今は住居表示と町会名が違うから住んでいる人以外はわかりづらく不便な時があります。みんな元の町名に戻せたら粋でしょうね。 |
町のことで現在気になることは、やはりマンションのことでしょうか。
![]() 区としては、人が変わっても人口が増えればいいでしょうが地元は困る。戦前から住んでいて、これからもずっとここにいる人と、ポンと入ってきて、すぐ出て行ってしまう人とは価値観も違うでしょうし、ここに住む人が親しみ合って町会を築いてきた“人情”というものがなくなってしまわないか心配です。 マンションが分譲でファミリー型なら定住も考えられるけれど、賃貸で単身型では町になじむというのは難しいですね。マンションの新しい住民の方が本当に町になじんでいくのに10年くらいはかかると思っています。徐々に神田を理解していただきたいですね。それにしても、今は、この近辺は物価も高く暮らしやすいとは言えません。 |
さて、町会長になって良かったことをお聞かせください。是非、後に続く人が出てくるような良いことを言ってください。
自分はお祭りの関係で、ほかの町会の人とも面識があったから、町会長になったからと言って気負いはなかったけれど、これからの町会長さんたちは大変かもしれないなあ。役所から来る仕事も増えているし、町会内にマンションができるとさらに新たな課題も出てくるでしょうね。 昔は、25年間立派に務めた町会長もいたくらいで、なり手も多く、皆さん大変ながら気持ちよく楽しみながらやっていました。今は、あまりに荷が多すぎて、大変だとばかり思われている。これからの人たちが是非町会長をやってみたいと思われるように、僕らがしていかなければならないのでしょうね。 |
でも皆さん辛そうな顔はされていないですね。
![]() お祭りを動かすのは面白い。寄付集め、その内容を興して動かしていく。ベテラン役員から少しずつ若い人たちに任せるようにして生き甲斐にしてやりたい。昨年の江戸天下祭がその良いきっかけになりました。中途半端にするとかえって良くないので、一定の予算の中で、すべて責任を持って若い人たちに仕切ってもらった。 |
後継者作りがお上手ですね。会長が今後の町の若い人たちに期待することは何でしょう。
![]() 今の若い人は、いろいろな情報を持っているけれど、人と人の面と向かったコミュニケーションを大切にしてほしいですね。 お祭りでは13ヶ町は仲が良くて本当に楽しい。8町会の神輿合わせなんかもう何年やっているのか忘れてしまうくらい・・・。楽しかったなあ。青年部の連中は祭りの何か月も前から楽しんで準備する。多町大通りの神輿合わせは、最初は、多一、多二、鍛冶三の3町会でした。お互いの町会の神酒所へ挨拶に行く途中で、神輿がたまたまかち合ってしまう。今でも、8町会の神輿は巡行の途中に多町の交差点で偶然会ってしまいますが、昔は携帯電話がなかったから大変でした。(笑) (写真は、平成19年の神田祭のとき) |
![]() 今の若い人たちは、携帯電話やメールを便利に使っていると思うけれど、やはり顔を合わせてのやりとりが必要ですね。マンションの人たちとも顔を合わせて話し合いができれば地区内のコミュニティの活性化も図れると思います。7月の子供縁日のご案内も出すので来てくれるといいですね。 (写真は平成17年の神田祭のとき、神酒所前で町会員全員で記念撮影) |
それではいよいよ会長ご自身のことを伺います。子供のころのニックネームや“こだわり”なども教えてください。
![]() 疎開先の山形で小学校1年生を過ごし、その後は神田小学校へ行きました。呼び名は「キヨちゃん」です。趣味は昔はスキー、親父の田舎が山形なので蔵王でよく滑りました。高校時代はバスケット、大人になってからは野球、とにかく体を動かすのが好きでした。 僕が子供の頃は、一八通りの縁日が賑やかで、中央通りから本郷通りまでびっしりと店が出て盛況でした。娯楽がなかった時代ですから、皆、縁日を楽しみにしていました。 遊びは、路地で“釘さし”なんか夢中になってやりました。五寸釘で引く線をだんだん狭くして相手を逃がさないようにしていく遊びです。あとはビー玉ですね。 小学校の近くにキューピー堂という駄菓子屋があり、子供のたまり場でした。“もんじゃ”なんかやっていましたが、うどん粉ばかりで、今でも“もんじゃ”は美味しくないというイメージがあるね。 (平成19年10月14日町内の松尾神社で) |
![]() (写真は学士会館での結婚式、昭和40年11月) |
長く消防団でご活躍されていますが、神田消防団の副団長さんとして何かメッセージはありますか。
![]() (写真は本年元旦に神田明神で) |
最後に「大好き神田」についてお聞きします。ご覧になったことはありますか。
申し訳ないけれど、普段は見ていません。このインタビューが載ったら見てみます。僕ら位の人たちはコンピューターに弱いけれど、「大好き神田」で防災情報が見られたらいいですね。 |
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