千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

小川町北部一丁目町会長  大井 明 氏(おおい あきら)令和元年6月就任

今回は小川町北部一丁目町会・大井明町会長をご紹介いたします。

小川町北部一丁目町会は、淡路町交差点から小川町交差点までの靖国通りの北側に位置する町会です。
靖国通り沿いにはオフィスビルやスポーツ店・楽器店などが建ち並びます。

気さくで飄々としたお人柄の大井町会長。老舗の塗料屋さんの7代目で、戦後の神田の街の移り変わりをつぶさに見ていらっしゃった方です。(写真・一番左が大井会長)
多趣味な大井町会長ですが、特に民謡の腕前は連合町会でも有名です。実はインタビュアーの藤井町会長(錦町一丁目町会)も工藤流津軽三味線師範、日本民謡協会公認教授でいらっしゃいます。おふたりの民謡トークにもご注目ください!

(取材日:令和2年8月20日)
※新型コロナウイルス感染症対策を実施しながらインタビューにご協力いただきました。


神田祭りにて。昭和19・20年生まれのご友人たちと。

会長のプロフィールをお聞きしました

 今年で75歳になりました。家族構成は妻、長男、長女、次男とそれぞれの孫がいます。
 家業は江戸時代から続く漆屋です。戦前は浅草に住んでいましたが、戦争で全部焼けてしまいました。それで、住むところがなくなってしまったので曾祖父の隠居があった神田に移ってきたんです。
 私が7代目で、現在は塗料販売業として息子が継いでいます。漆屋っていうのはメーカーも含めて十何代って続いているところが多いんです。漆を扱える人っていうのはなかなかいないですから。当社ではそういったメーカーから漆を仕入れてきて詰めて、寺社仏閣などに納めていました。日光東照宮や奈良県の橿原神宮にも長く使っていただいていました。旅先の神社やお寺で「保坂漆店」というプレートを見せてもらったときは嬉しかったですね。


漆文化を伝える美術品を特別に見せてくださいました。
こちらの作品は「漆搔き」という漆を採取するための道具を描いたもの。
こうした作品をつくることができる作家さんは今はもうほとんどいないそうです。


こちらの作品は漆の木を描いたもの。木の幹に入っている横線は、漆を採取した時の切り傷です。
木から漆の液を採取するのには非常に時間と手間がかかるため、とても貴重な品だったそうです。

会長のご趣味を教えてください。

 まずは民謡ですね。下手の横好きですが、もう50年近くやっています。初めたきっかけはうちの会社の社員さんのお誘いなんです。当時65歳くらいの方だったのですが、その方が「声を出すのは良いことだ」って仰って。毎週金曜日の夕方から1時間練習をしようって言われて、全員否応なく参加させられたんです(笑)その後もご近所の方と一緒に習ったりして8年くらい続きました。先生が亡くなられてからは民謡をやめようかとも思ったのですが、ここでやめてしまうのはもったいないからってプロの先生をご紹介いただいて続けていました。その先生の会では会長も務めていました。会が始まったときには5人くらいしかいなかったのですが、だんだん増えていって最終的には30人くらいになりました。

――プロの先生との活動は大変でしたか?
 そうですね。先生がプロの歌手ですごく熱心な方だったので、色々なところに遠征に行きました。民謡の世界っていろんな会があるんです。自分の先生の親戚関係にあたる会やお付き合いがあるグループの会には賛助出演するんです。




――今もお稽古は続けていらっしゃるんですか?
 今は小川町三丁目西町会の岩崎さんや田近町会長と一緒に稽古しています。もともとは全然別の会でやっていたのですが、岩崎さんが町会長だった時におふたりに誘ってもらったんです。趣味は民謡とゴルフですって言ったら「明日からおいで」って。
 岩崎さんは几帳面な方なので、出欠表をつけていて、欠席すると電話がかかってきます(笑)もう10年くらいになりますが、楽しく続けられています。

――町会のイベントでは会長の歌声が聴けるという噂です。
 私はもうお酒飲むと歌うのが止まらないんです。女房にも「少しお酒やめなさい」って怒られます(笑)

――新型コロナが落ち着いてまたイベントができるようになったら三味線を持っていくので、ぜひコラボしましょう。お好きな曲をリクエストしてください。
 プロの先生とコラボなんてお恥ずかしいです(笑)でもまたそういう催しができる日が来てほしいですね。
 



2019年の「小川町北部四ヶ町納涼会」でも民謡を披露してくださいました!

小さい頃はどんなお子さんでしたか?

 今は廃校になってしまいましたが、淡路小学校に6年間通いました。子どもの頃は体が弱くて、1年近く学校を休んでしまったことがありました。進級できるかどうか心配だったのですが、校長先生、担任の先生、クラスの皆の助言で無事に進級・卒業できました。卒業して63年ほど経ちますが、私と同級生3人で今もクラス会の幹事をやっています。毎年やっていたのですが、今年は新型コロナの影響でできなくなってしまいました。
 当時の淡路小は2クラスあったのですが、6年間クラス替えがなかったんです。だからクラスの結束は固かったですね。家族ぐるみで仲が良くて、親同士でも旅行に行ったりなんかしてました。

――それだけ長い間、毎年クラス会の幹事をするのはすごいですね。
 実は中学・高校・大学とクラス会の幹事をやっています。中学校は練成中学校だったのですが、同級生4人で幹事をやっていました。年を取ってからは神田駅前にある当時の同級生のお店でクラス会を開いていたんですけど、やっぱりお店が貸し切りになるくらいみんな来てくれたんですよ。やはり学生時代の友達が私にとって最高の宝物ですね。


淡路小・入学当時の大井会長

町会についてお聞きしました

――町会の特色を教えてください。
  地元に住んでいる町会員は7〜8名、その他は企業の方たちです。実は、神田公園地区で唯一の「集合住宅がない町会」なんです。(令和2年9月現在)居住者が少ないので企業さんが頼りという状態ですが、地区内には老舗の楽器店などもあります。
 最近は、千代田区を中心に活動している「東京ビエンナーレ」さんの活動として、当町会の宝ビルさんの壁面に描かれたアート作品が披露されました。とても大きな作品なので、仰ぎ見ると青空も目に入ってきます。新型コロナの影響で、皆で集まることが難しい昨今ですが、空を見上げると元気が出ますよね。


Hogalee《Landmark Art Girl》2020 神田小川町宝ビル Photo by YUKAI ©東京ビエンナーレ

――町会のご自慢を教えてください。
 町内に観世流能楽師の木原さんという方が住んでいらっしゃるんです。昭和2年から神田に住んでいらっしゃって、もう4代になるのかな。町会の紹介のときにはいつもこの方のお話をしているんです。(※)
 
 ※能楽師・木原氏のご紹介は小川町北部一丁目町会ホームページの「歴史」コーナーにも掲載されています!ぜひご覧ください。
 http://www.daisuki-kanda.com/guide/association/ogawa-n1/?cno=2

――町会活動で楽しかった思い出を教えてください。
 私が若い頃ですが、年に一回町会で旅行に行っていたんです。30人くらいでバスを仕立てて。今の会員数からすると信じられないことですが、楽しかったですね。
 それから、やはり神田祭ですね。中学生くらいの頃から参加しています。お祭の時は小川町北部四ヶ町(小川町北部一丁目、小川町北部二丁目、小川町北三、小川町三丁目西)の連合で持ち回りでやっていますが、うちの町会は世帯数がずいぶん減ってしまいました。なので、周りの町会さんに手伝ってもらっています。おかげさまで小川町北部四ヶ町で神輿も立ち上げたので、今まで続けられてきたんですよね。この写真は今から10年くらい前の神田祭の写真。大切に家に飾っています。


ご自宅に飾っている神田祭の御神輿の写真
お祭にはいつも親子3代で参加していらっしゃいます

町会や地域の課題を教えてください

 やはり一番のネックは高齢化と住まいですね。最近はマンションにお住まいの若い方が増えています。こうした方々が結婚したり家族が増えたりすれば、子育てに十分な広さの家が必要になりますが、家賃が高い千代田区でそういう部屋を買ったり借りたりし続けるのはなかなか難しい。これからますます高齢者が増える中で、千代田区として住民をどのように定着させていくかという議論が必要だと思います。

HP「大好き神田」に今後載せてほしい情報や期待することを教えてください

 もっと企業の人が参加できる場があるといいですよね。やっぱり住んでいる人だけの情報っていうと限られてしまうので。地域の情報ということで。防災や防犯の面でも、いざという時のためには在住者も在勤者もお互いのことを知っておいた方が良いですし。

――神田は商売もひとつの「文化」ですよね。
 うちの町会も人口は少ないですが、周辺には何十年も続くお店や会社があります。続けることが難しい時代ですから、いまのうちに街の歴史として記録しておくことも考えていきたいですね。私自身も自分が携わってきた漆の文化を生きている間に何とか記録として残したいと思っています。

神田の若い人たちに一言お願いします

 私は昭和20年に神田に移り住んで75年になります。神田の街もすっかり変わりましたが、変わらないのは人の心です。私も小川町北部一丁目町会で青年部長を10年務めさせていただきました。今、当時いっしょに青年部長を務めていた他の町会の方々も立派な町会長になっておられます。何事も続けていくのが非常に難しい世の中になってしまいました。しかし、どうかこれから5年先、10年先、お孫さんの代まで日本で一番の街・神田に住んでいてください。お願い致します。

こぼれ話

ご家族をとても大切にしていらっしゃる大井会長。
取材中も、奥様やお子さんの頼みで犬を飼い始めたお話など、たくさんのご家族のエピソードをお話しくださいました。
お子さんやお孫さんは近くに住んでいらっしゃって、神田祭にはご家族皆で参加しているそうです。

インタビュー当日、会長が持ってきてくださったのはお嬢さんの小さい頃の写真です。
どこか会長の小さい頃の写真に似ていて、とても可愛らしいですね!
お嬢さんも今はお子さんを連れてよく遊びにいらっしゃるそうですよ。


お嬢さんの写真を見せてくださいました

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