神田橋町会長 藤村 量作 氏(ふじむら りょうさく)平成24年4月〜令和3年6月
今回は神田橋町会の藤村量作会長さんをご紹介します。神田橋町会は、区営内神田住宅に住む方々で構成する町会です。同住宅は、神田公園地区の南側中央の神田橋交差点に大手町の高層ビル群を背景に建つ、地下1階、地上13階の施設です。 写真は、神田橋交差点から日比谷通りを挟んで撮ったものです。 |
今回は藤村会長のたってのご希望で斎藤会長(HP担当理事)との対談形式でインタビューを行いました。
斎藤会長:お忙しいところインタビューにお時間をいただき申し訳ありません。 藤村会長:とんでもございません。連合町会のスポークスマン的存在の斎藤会長からのインタビューとあって些か緊張しています。 斎藤会長:一応、前もってお聞きする項目を設定しておりますので、それにしたがってお話を進めていこうと思いますがいかがでしょうか。 藤村会長:依存はありませんが、先に私共の町会としての特殊事情をお話しさせていただきますが、よろしいでしょうか。 斎藤会長:結構です。確かに神田橋町会さんは異色ですね。 藤村会長:私たちの町会は一つの集合住宅が町会として存立しています。千代田区では、そのような形式の町会は唯一無二の存在です。そもそも日本の町、即ち町会は祭りを中心に形成されています。ところが当町会には神輿がある訳ではなく、人々を束ねる象徴的な核と言うべきものがないのです。 |
斎藤会長:お祭りの時は寂しいですね。皆さんはそういう時はどうされているのですか。 藤村会長:当町会は、言わばダブルスタンダードというのでしょうか。住民の中には、ご自身のお店が他町会に在ったり、もともと実家のある町会に入っていたりしますと、主な町会活動はそちらで行っているという方がおります。 斎藤会長:言ってみればベッドタウン的存在ということですね。 藤村会長:おっしゃるとおりです。当町会ができた経緯はいろいろと聞いておりますが、私が現在の住まいに入居した時には既に「内神田住宅町会」として存在しておりました。 斎藤会長:そうでしたね。藤村さんがきてから町会名が「神田橋町会」に変わりました。 藤村会長:その間、紆余曲折がありましたが、何とか今日まで続けさせて頂いている訳です。よちよち歩きの当町会を此処まで引っ張って頂いた連合町会の方々のご親切には本当に感謝しております。 |
斎藤:ところで、皆さんにお伺いしているのですが、何かご趣味はございますか。 藤村:最も苦手なご質問です。これと言ってないので。ただ、いろいろなことをゆっくりと考え、自由に思いを巡らせ、空想を膨らませたりすることが好きですね。 私は何をやっても飽きっぽくて、一つの事が続いた試しがありません。必ず挫折してしまいます。今は、それを逆手にとって、三日坊主の良さを認めています。敢えて言えば、三日坊主の推進者になりました。飽きたら無理せず止めればいいのです。それを何回か繰り返していれば、また元に戻って、三日坊主が六日坊主になる。その繰り返しを重ねていくうちに、そこそこの技量や知識が付いてくるのです。 (写真は3歳の頃) |
斎藤:子ども時代は何処にお住まいでしたか。 藤村:小川町で生まれ、猿楽町で育ちましたが、戦争で水戸に疎開しました。「江戸っ子」と言うよりは「水戸っぽ」と言うところでしょうか。 子どもの頃は身体も小さくて喧嘩もさほど強くはなかったのですが、なぜかガキ大将で、近所では顰蹙をかっていたようです。 (右の写真は、25〜26歳頃) |
斎藤:町会のご自慢は何かありますか。 藤村:別に何もないと言ったら身も蓋もないのですが、取り立てて言えば、集合住宅にありがちな「隣は何をする人ぞ」という雰囲気は少ないようです。噂好きや多少の悪口は耳にします。と言うことは、良いにつけ悪いにつけ、交流があるということです。私が一番気になるのは孤独死を如何に防ぐかということです。 斎藤:高齢化が進む折、大切なことですね。町会活動で何か楽しいことを教えてください。 藤村:納涼会や新年会の折に高齢者の方やご婦人たちの屈託のない笑顔を拝見するときでしょうか。正直にいえば、準備等が大変で私自身は面倒なことですが。(笑) |
斎藤:質問の最後になりますが、神田の若い人たちに一言お願いします。 藤村:「近頃の若いやつは!」と言うことは、万葉の時代から言われたことです。私も言われ、私の親も言われた時代があるのです。私は若いということに期待しています。また、世の中は何とかなるものです。ですから、特にないのですが、敢えて一言と言われたら、どうでもよい情報の飛び交う中、今こそ古典に学ぶことをお勧めします。 ソクラテスでもプラトンでも結構です。何か骨のある読書を是非お勧めしたい。歴史認識が兎角騒がれています。第二次世界大戦を検証するのも面白いです。でもそれを理解するためには第一次世界大戦を検証しなければならない。第一次世界大戦を理解するために、トロッキーのロシア革命史に及んでいく。やることは続々出てきます。頑張れ若者! 斎藤:いろいろとご高説ありがとうございました。藤村会長さんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。 (写真は、少年野球連盟理事長時代のもの) |