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小川町北部二丁目町会長  小端 協一 氏(おばた きょういち)平成17年6月〜平成22年5月

 平成19年3月12日(火)午後1時、
神田公園区民館2階のサロンギャラリーにお迎えした今回のゲストは、
小端 協一 会長(小川町北部二丁目町会長)です。

明るく穏やかな会長のお人柄にインタビュアーも事務局もすっかりリラックスして、
楽しくお話をさせていただくうちにインタビューが終了しました。

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インタビューの冒頭はいつものように、町会のご自慢(大切にしているもの)をお聞きします。

 自慢と言えば、やはり祭のことになりますね。4町会(小川町北部一丁目町会、小川町北部二丁目町会、小川町北三町会、小川町三丁目西町会)で神輿を作り、その結束力がとても素晴らしい。4町会として今後も発展していくと思いますね。町会の行事や運営に携わるのは、やはり地元生まれ地元育ちになってきますが、サラリーマンでは時間的に無理でしょうし、今はどこの町会でも若い人がどんどん減っていて、何か行事をやるにしても単独町会では難しくなってきています。この4町会としての交流とまとまりは大切にしていきたいですね。         

町会長になって良かったことと、町会のアピールを一言お願いします。

 町会長になって良かったことですか。うーん、難しいね。他の町会とのお付き合いが増え、自分にとっての世間が広がったということかな。
 町会のアピールは、町会設置の目的のとおり、「融和と親睦」ですね。世帯数はそれほど多くはありませんが、町会の行事には「一会員一人」ではなく二人以上が参加してくれます。新年会では親子、夫婦で参加され、40人以上にもなります。

 バブル経済の時に木造の戸建ての家がほとんどビルに変わり、普段なかなか顔を合わせる機会がなくなってきて、懇親会等を実施すると皆さん大変喜んで集まってくださる。だから、美味しい料理の店を選んで、ちょっと豪華にやります。昨年の総会は浅草の「今半」で、すき焼きの食べ放題でした。(笑)高齢化で年配の方が多いですが、皆さん和気あいあいと、引越して区外に出られた方まで臨時会員として参加してくださる。

 地区のコミュニティで大切なこともやはり「会話と意思の疎通」。だから「融和」ということなのでしょうね。
総会の後の懇親会は、ご婦人の参加が多く、毎回、美味しくて立派なところで開催することを皆さん楽しみにしていますね。今、近場で残っているのは「帝国ホテル」と「東京會舘」くらいかなあ。


会長のご自身のことを伺っていきます。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう。

 体格は割と小柄でどちらかというとやせっぽちと言う感じでした。小川小学校から、明中、明高、明大と進み、熊井会長(錦町一丁目町会長)とはずっと一緒です。ニックネームはそのままの「協(キョウ)ちゃん」。
スポーツは大体やりましたが、細かいのは(?)ダメですね。勉強は、もう、大のキライでした。野球は中学の時から始めて、近所の野球チームに入り、大学一年の時までずっと続けていました。

 高校のときは、仲間とクラブチームの試合にピンチヒッターとして駆り出されました。1試合で300円、夕食付でした。そういう時は、自分の普段のポジションはやらないで、本職(?)以外のポジション、例えばピッチャーをやったことが無い者がピッチャーをやったりして、楽しかったですね。


趣味と座右の銘を教えてください。

 現在は特にありませんが、以前は良く釣りに行きました。房総の海岸で、砂浜からの投げ釣りです。
(皆が泳いでいるところで釣るのですか?)
もちろん人がいない砂浜ですよ。錘(おもり)が当たったら大変なことになります。海水浴シーズンは砂浜の端っこのほうで、長さ100メートルくらいのものを投げます。子どもの頃、父によくハゼ釣りに連れて行ってもらいました。父の友達と何人かで船を仕立てて、夜に神田橋のところから出発し、翌日の夕方に戻ってくる。大人になってからは、小川小学校の創立記念日(7月1日)に子どもを連れて小田原の早川海岸へ行きましたね。その時のことを息子が作文に書いたことがあり、それが毎日新聞に掲載されたのを覚えています。

 座右の銘は、特にないですが、小学校の時の担任の先生が、折に触れて「心、身、知」と言っていたことが心に残っています。心が一番大切、次に身体を鍛えて、頭は一番後ろで良いという意味ですね。当時は、一クラス60人くらいいましたが、熱血先生でずっと担任をしていただき、その先生の影響は大きかったですね。残念なことに、私が中学の2・3年の頃交通事故で亡くなられました。

会長の「こだわり」があれば教えてください。

 「こだわり」は特にないですよ。食べ物で好きなものが少ない、ということくらいですね。好きなものは、海苔、卵、豆腐、これだけです。嫌いなものは、にんにく、ネギ、鶏肉で、絶対に食べません。でも、生姜、三つ葉、ラッキョウなどは大好きで皆からオカシイと言われますね。子どもの頃、疎開先で暇を持て余していて、カミソリを磨くとネギ畑に行き、ネギ坊主を試し切りしました。茎が筒のようになっていてスパッと切れて面白かったのですが、その時の匂いが鼻についてしまったのでしょう。食べられませんね。
 戦争中は6年生の二学期から3月まで埼玉県の春日部に疎開し、毎日お寺の本堂で寝泊りしていました。あの辺りでは、人が亡くなると当時はまだ土葬にしていましたが、住職さんは、本堂の私たちが寝泊りしている傍に、全く普通に仏様を安置したり、お経をあげたりしていましたね。


最後に、「大好き神田」についてお聞きします。会長はホームページ「大好き神田」ご覧になったことはありますか。

 申し訳ないけれど見ていません。パソコンが家にはありませんから。パソコンの研修があっても多分受けないでしょうね。電卓も間違えてばかりいるくらいです。カタカナとボタンがどうも苦手です。
 ホームページで皆さんが興味を持つ情報は、やはり「食べること」「見ること」そして「着ること」でしょう。地区内の名店や名物、イベントは積極的に担当者さんたちに取材してもらって載せたほうがいいですね。商店の活性化にも繋がるし。


 ありがとうございました。二年前の神田祭では当番町会にあたり、町会長になって間もなくだったことから、大変忙しい思いをされたとか。そんな小端会長の今一番の楽しみは、お孫さんとのんびりどこかへ遊びに行くことだそうです。「孫はいいですよ。責任がなく甘やかし放題にできるし・・・。」と、おっしゃって笑った時の笑顔は若い頃のお写真と変わらぬ笑顔でした。
 次は、小川町三丁目西町会の 岩崎 與士 会長へバトンタッチしていきます

♪ インタビューを終えて
“融和と親睦”を最も大切にされているという小川町北部二丁目町会さん。
小端会長は、町会の懇親会を“お楽しみ会”と呼び、「皆さんの期待に応えられるような会場を捜さなくては・・・。」と、おっしゃっていました。控えめなゆったりとした話し方で、インタビューの間、終始にこやかだった小端会長。そういえば、お借りしたお写真を改めて拝見すると、やはりどの写真も優しく暖かい笑顔でした。
竹内

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