千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

小川町二丁目南部町会長  木村 美佐子 氏(きむら みさこ)平成28年7月就任

小川町二丁目南部町会の木村美佐子会長さんをご紹介いたします。

小川町二丁目南部町会は、靖国通りの南側に位置し、住所が神田小川町二丁目1番地・3番地・5番地である住民の町会です。

小川町の交差点にあるきれいな花壇をご存じですか?
この花は小川町二丁目南部町会が町ゆく人の心を和ませようと日々、丹精を込めて手入れをしています。 町会の玄関口で、 四季折々の美しい花が皆さんをお出迎えいたします。

趣味は何でしょうか。どういう所が面白いのでしょうか。旅行された場所で印象に残ったところなどのお話しもお聞かせください。

趣味はコーラスと手芸です。
コーラスは中学生から始め、子育て時代のブランクの後、同窓会コーラス、ひびき混声などで歌っていて、現在は3団体に参加しています。
その一つが、美土代町YMCAで練習していた東京YMCA合唱団です。「近い」が入団動機でしたが、武田雅博先生の熱血指導に魅せられて、今も続けています。アカペラ宗教曲から現代合唱組曲まで、毎回厳しい練習に食いついて歌っています。
二つ目の団体は、「東京いのりのとき」合唱団です。阪神・淡路大震災10年後、「忘れないために」と被災者の立場に立ったレクイエム・プロジェクトが神戸で始まり、6年前から東京でも始まった時に、プロジェクトに関わっていた声楽の先生から「あなた関西出身でしょう、参加しない?」と紹介され、今はどっぷりはまっています。国内10箇所で同じ曲(主催の作曲家である上田益氏の局を中心に)を練習し、各地での演奏会に加わることもできます。今年は神戸・高野山に参加し、秋には仙台に参加予定です。他には広島・長崎五島・北岩手・佐用町・イタリア(4ヶ所)がありますが、腰痛持ちのため、身体と相談し負担にならない場所のみ参加しています。
三つ目は、同志社混声OBで少人数で賛美歌を歌いたいと始まった会で、「アルトを手伝って」と誘われ、そのまま20年近くになります。今は出身校も色々で、気ままに参加でき、ストレスのない合唱団です。

手芸は、編み物、アートフラワーなど、手を動かしていることが好きです。ブライダルブーケもよく作りました。

旅行は、お舅さんがいた時は、休日やお盆、お正月には「じゃあ、ビル頼んだな」と出掛けられてしまい、「公用」のような時しか出掛けれらませんでした。千代田区の平和使節団の視察旅行は良い機会でした。最近では、高野山でのコンサートが心に残っています。


昨年、ティアラ江東で行われたコンサート

高野山でのコンサート

アカペラ・ライブをやっていたこともあります。


オペラ「蝶々夫人」の舞台裏にて

小さい頃はどんな子どもでしたか。小さい頃の思い出がありましたら教えてください。

融通の利かない潔癖症なところのある子どもでした。(今からは想像できないですが!)
また、純文学、SF、ミステリーから図鑑、百科事典までジャンルを問わずの「本の虫」でした。
教育熱心な母のおかげで、毎月コンサートに連れて行かれ、美術館にもよく行きました。
美術図鑑も音楽図鑑も、本は全て「付け」で買うことを許されていて、学校帰りに毎日、本屋に寄っては好きな本を買ったり注文したりしていました。
親友のお父様が「月博士」と言われた京都大学の花山天文台長で、お弁当を届ける友達にくっついて一緒に通い、よく天体望遠鏡をのぞかせていただきました。小学校1年の頃から「ブラックホール」や「白色矮星」の話をする変わり者でもありました。
また「おとなしい子」と認識された子どもで、小学校に音楽専任の先生がいなかったので、音楽の時間は先生の代わりにピアノを弾くこともありました。
住んでいた場所柄、友人のほとんどが大学教授、研究者、音楽家の家庭でしたので、「普通の会社員の娘」の私は少し劣等感を抱いていました。



京都の渡邊家(旧姓)集合写真(昭和30年頃)
中央向かって右側の子どもが私です。前列向かって左端が祖父、その右隣が父、妹(内科医をしています)、後列中央が母、向かって右下が祖母です。

町会のご自慢(大切にしていること)は何ですか。町会活動で楽しいことや印象的だったことはありますか。

小さな町会ですので、「顔を合わせて」のおしゃべりで町内情報は行き渡ります。
時間があれば、お茶をしながら、飲みながら、おしゃべりをします。
スポーツ店が多く、若い店員さん達が協力的で、毎日仕事始めに町内一周の清掃活動などを自発的に続けていただいています。
体育大会やお祭りも、仕事のシフトを変更してまで積極的に参加してくださっています。
ビルのオーナーや会社・銀行さんなどが町会員でもありますので、その社員さんも出来るだけコミュニティに参加していただこうと、普段から顔を合わすようにしています。
この4〜5年は特に、お祭りや体育大会に気合が入り、皆で一日、楽しく参加しています。

地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょうか。

在勤の方、神田の好きな方も巻き込んだ、息の長い活動をしていくことが大切だと思います。
すずらん祭りに出店していた関係で「神保町応援隊」「お散歩神保町」の立ち上げメンバーでもあり、その時の経験から、「人を巻き込んでいくつもりで動く」ことが大切だと学び、そのように出来れば、と願っています。


神田の若い人たちに一言お願いします。

うちの町会には、ほとんど「若い人」がおりませんが、「町会」という垣根を越えて、もっと積極的に「町の活動」に関わってほしいと願っています。

神田に住み始めた頃の写真
(昭和48年のお正月)
それまでは、鵠沼海岸で暮らしていました。
(向かって左端が木村会長)

HP「大好き神田」に今後期待することは何ですか。HPでどんな情報が見られたら良いとお考えですか。

神田公園地区に関係のあるイベントや、地区の人が出演するイベントなどを大好き神田のカレンダーか、または別ページで表示するようにしたらどうでしょうか。
また、店舗の紹介で、順番に紹介記事などがあると良いと思います。


その他ありましたら、何でもお話しください。

私のとりせつ(取扱説明書)。
右眼がほとんど見えないことと、視野が狭いことから「見えず」に、会ってもスルーしてしまうことがよくあります。視野が狭いので、人と目を合わせて話すことができません。目を合わせようとすると、少し焦点が外れた所を見えているように思われます。悪気はございません。ご理解ください。

連合町会枠で、11年前に平和使節団で広島に「区の予算」で派遣させていただいたことに対し、そのお返しに何か自分にもできないかと提案したところ、立派な「折り鶴」用の大きな箱を作っていただきましたので、毎年最低1万羽の鶴を折ることを誓い、以来、鶴おばさんとして、折り続けています。集まった鶴をつなぐことも続けています。続けられる限り続けたいと思っています。


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