千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

錦町三丁目町会長  前田 智彦 氏(まえだ ともひこ)平成23年4月就任

今回は錦町三丁目町会の前田智彦会長さんをご紹介します。
錦町三丁目町会は、神田公園地区の南西に位置する町会です。

町内には、昭和3年に建築(旧館)され、現在は国の登録有形文化財になっている学士会館の風格ある建物があります。
(写真は、学士会館敷地内にある『日本野球発祥の地の碑』)

①趣味は何でしょうか。

 路上神輿見学(鉄道マニアならぬ神輿マニア?)でしょうか。神田祭のみならず、他のお祭りでもついお神輿の造作に目がいってしまいます。それぞれ特徴があり、見慣れてくると、「どこそこの誰の作」といった具合に、お神輿の作人がわかるようになってきます。

②小さい頃はどんな子供でしたか。小さい頃の思い出があれば教えてください。

 私たちの子供の頃は、読売巨人軍最盛期V9時代ということもあり、野球ばかりやっていました。一つのチームに背番号3番の選手が何人もいました。野球以外では缶蹴り、ベーゴマ、メンコなどで近所の子たちとよく遊びました。
 また、町会内に出版社、活版印刷所や製本所、鉛版屋、製版屋、出版の取次、紙屋の倉庫等々がひしめいていて、まるで町そのものが本の製造工場のようでした。そういった場所が遊び場でもあったので、特に誰に教わることなく自然と、編集や本造り等の一連の作業を覚えてしまいました。今、家業(出版)を継いでいますが、今の仕事の大半は小学生の頃覚えたことがベースとなっています。


(更に、子どもの時に衝撃的だった思い出として・・・) 
 前述の巨人軍は当時向かうところ敵なしで、特にスーパースター長嶋茂雄は子供たちのあこがれの的であり、未来永劫活躍するものと思っていましたが、その長嶋にも限界と引退があることを知り、ショックを受けました。
 また、その長嶋が期待されて新監督になった巨人軍が最下位になったことも大変な衝撃でした。

③町会のご自慢(大切にしていること)は何ですか。

 昭和8年神田鍛冶町四世宮惣作になる町会の大神輿です。先輩たちが疎開までさせて守ってくれた町会の至宝です。平成8年に大規模な修復を施し、今でも町会員により大切に守られています。

④町会活動で楽しいことや、印象的だったことはありますか。

 町会内に限らず、神田の人たちは時間にとても正確です。概ね、高校や大学〜就職などで生活の基盤がいったん神田を離れたとき、特にそのことを感じました。

⑤地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょうか。

 今は、町会周辺も大きなビルが増えたので、通勤して一旦会社内(ビル)に入ってしまうと、会社員の人たちはあまり外に出てこないことが多いので、もっと町を回遊(?)するような仕組みを作ることができると良いと思います。

 その点、町会内にあるプラットフォームスクウェアでは、そこの広場を活用していつもイベントが開かれていて、今や町の活性化に無くてはならない存在になっています。

⑥神田の若い人たちに一言お願いします。

 人が減ったということもあると思いますが、全体的に昔より少々おとなしくなってきているかなと感じるときがあります。もちろん無茶はいけませんが、もう少し元気があっても良いかなと思ったりもします。

⑦ HP「大好き神田」に今後期待することはなんですか。

 「大好き神田」は、普段あまり拝見する機会が少なくて申し訳ないのですが、最近拝見してその充実ぶりにびっくりしました。スタッフのみなさんの御努力に感服します。

⑨インタビューの最後に何か一言お願いします。

 町会所有の「錦三児童公園」が、現在、喫煙所になってしまっています。
その昔は、この場所で紙芝居や人形劇などの子供会が頻繁に開かれていました。参加すると瓶の牛乳が一本もらえて、それをストローを使って飲むのが嬉しかったです。そんな想い出のいっぱい詰まった場所なのですが、ゴミなどが放置され、ホームレスが寝泊まりしたりしているのを見ると本当に残念です。

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