千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

神田錦町二丁目町会長  丸山 幹雄 氏(まるやま みきお)令和元年6月就任

今回お話を伺ったのは丸山幹雄町会長。
神田錦町二丁目町会は、神田公園地区の左側に位置し、神田警察通りを挟んで南北に伸びる町会です。
江戸時代は武家地だったこの地区は、明治以降、教育機関が立ち並ぶ文教の町として発展しました。
町会の北側には豊川稲荷神社があります。


丸山会長にはご趣味や神田祭について、様々お話しいただきました。お引越しの際にお写真は処分してしまったとのことで残念ながら写真はありませんが、非常に内容の濃いインタビューとなりました。
(インタビュー日:令和6年2月6日)



会長のプロフィールを教えてください。

生まれたのは昭和23年の12月なんですけど、戸籍上は昭和24年の1月になっているんです。あの頃は数え年でやることが多かったみたいで。暮れの忙しいときに生まれたから年明けにしたかったというのが本音ではないかと思っているんですけどね(笑)
元々は錦町三丁目第一町会のところでずっと暮らしていて、大学3年生の頃まで住んでいました。ちょうど私のところが竹尾さん※の一角だったんですが、そこで機械屋をやっていまして。だからあの辺が全て遊び場だったんです。ですので本来だったら錦町三丁目第一町会だったんですよね。結婚するまでずっと神田にいました。ちょうどバブルが弾けた頃で神田に住む場所がないものですから、結婚してからは大田区に行きました。

※株式会社竹尾洋紙店

——<齊藤所長>大田区は広いですけれど、どちらにいらしたのですか?

東急電鉄池上線の御嶽山駅ですね。家内の実家が横浜の鶴見だったものですからちょうど間ということで。治安もよくていいところでしたよ。田園調布という高級なところが側にある割には物価が安いんですよ。御嶽山や雪が谷大塚というのはスーパーや商店街が多くて物価が安かったんですね。また、蒲田のほうに行くと高級なところもあるし。だからものすごい暮らしやすいところでした。今のところは一番長く住んでいるのは大田区の御嶽山でしたね。

——次にお仕事についても伺いたいと思います。水泳連盟の会長さんをやられていますよね。

そうなんです。なぜ私が会長になったかというと、水泳連盟というのは区民がいないんですよ。それで体育協会なんかでもどうしても千代田区民がいないものですから、いろいろな話をするには1番いいんじゃないかということで私が入れられたということですね。水泳はYMCA※で小学校からやってましたからね。結局私たちが小さい時って遊ぶところはあったけど親が仕事をやってる関係で子供を見られないから、ああいうところに置いておけば悪いことはしないだろうということで(笑)。水着とタオルが1枚あればいいので、あの頃一番お金がかからないスポーツだったんですよね。一番道具のいらないスポーツでしたね。

※1894年に青少年の成長のため神田に設立された体育館。東京YMCA初代体育館の3階建ての建物の中に、温水プール・シャワー・バス・更衣室・各種運動施設などが作られた。


小さい頃はどんな子供でしたか?思い出があれば教えてください。

小学校の頃の思い出と言ったら、神田橋のところから東京駅までずっと空き地でしたからね。米軍の進駐軍が撤退したところだったので。信じられないでしょ。見えたのは昔の丸ビルとかそこらへんですよね。僕が小学校4年から5年生くらいのときは学校が終わるとそこに野球をやりに行っていましたね。

——<小林会長>終戦の時は靖国通りから皇居が全部見えたって言いますからね。それがだんだん、終戦後に様々建ってきてね。

私が小学校より小さい頃、ビルといったら東京電機大学と、博報堂くらいしかなかったかな。
正則学園の前に出ると、隅田川の花火が見えたんですよ。ちょっと高いところに上がったら本当によく見えて。今の二丁目のところに引っ越した時に3階建てのビルを建てたんですけど、屋上からは建物の間から高速道路や富士山、皇居も見えたんです。あっという間にぼんぼんと出来ましたからね。


趣味についてお伺いします。

カメラなどをやっていましたけど、飽きっぽい性格ですから続かないんですよね。続いているのは運動することだけですね。水泳とスキーと。

——スキーをやられるんですね。

スキーは好きですよ。それこそ大学に入ってからスキーを始めて。結婚してからずっとやってませんでしたけど去年、17年ぶりくらいに行きましたね。用具は昔のものをまだ持っていて、使っていますね。学生時代から卒業して結婚するまではスキー場は尾瀬のような近いところが多かったですね。毎週のように行っていました。YMCAの仲間と仕事終わりに行っていましたね。土曜日に仕事が終わって、夜8時頃に車でみんなで乗って行っていましたね。夜中に着いて、日曜日の朝から滑って、暗くなってから帰ってくる。

今と比べて昔は憧れるような楽しいことがたくさんあったんですよね。大学を卒業しての時には、お金を貯めてどうやってスキーを安く買うかということばかり考えていましたね。誰か知り合いがいないかと(笑)。神田小川町にミナミっていうスポーツ屋があって、そこに飾ってあるスキーが欲しくてね。

——かっこよかったんですか?

今からすればあまり変わらないんだけど、昔の憧れっていうのがあったんですよね。

(ここでスキーのメーカーについて盛り上がる)

8月の下旬になるとスキーのカタログが出てくるんで、集めてましたね。
そういう学生時代ですね。勉強は一切しなかった(笑)

——今もやられているのはスキーと水泳のみですか?

あとは時間があればダイビングに行きたいなと思っていますが、なかなか今はできないんです。年を取るとなかなか潜らせてもらえないんですよ。宮古島以外潜ったことはないんですけどね。

——<小林会長>免許は持ってるんですか?

持っていますよ。今から20数年前に取りましたね。たまたま私の友達が宮古島でトライアスロンをやっていて、「行くついでにライセンス取らない?」って言われて。宮古島には毎年行っているんですけど、全然潜ってはないですね。

——ダイビングの楽しさって何ですか?

これはね。皆さんに勧めます。世界が変わります。言葉で表すのは難しいんですよね。何しろ1回潜ったほうがいいですね。
簡単に言えば我々は2次元にいるけど、ダイビングをすると3次元にいるような感じですね。縦横関係ないから。

——カメラもご趣味であったということでしたが、ダイビングをしてお写真とかは撮られないのですか?

今までは土曜日に宮古島へ行って、2本潜って帰ってくる。日曜日にトライアスロンのサポートをして、月曜日に帰ってくるというスケジュールだから写真撮ってくるよりも、潜るほうが忙しくて。まあ、宮古島に行くのは半分飲みに行くようなものなんですけどね。

——宮古島のお料理やお酒でお好きなものはありますか。

お酒は泡盛ですね。料理は高級なものを食べたことはないんですよ。我々はいつも自炊だから。というのは、安いところの材料を買ってきて、仲間が作って、そしてお酒を飲むんです。あとは向こうの人間が差し入れしてくれる刺身やなんかを食べて。だからあんまりお店には行かないんですよ。

では旅行された場所で一番印象に残ったところはやはり宮古島ですか?

そうですね。仕事でよく地方に行ってましたけど、観光で回ったことは無いんですよ。

——では観光地はあまり行かれないんですね。

行ってないですね。だから遊びで行くのはせいぜい宮古島ぐらいかな。地方はそれこそ北海道・九州全部行ってますけど、どこどこの料理が良かったぐらいしか記憶にないですね。やっぱり料理や食べ物で言うと札幌が一番良かったですね。札幌は一番数行ってるんじゃないかな。年に3~5回は行ってましたから。あとは多く行ったのは名古屋かな。毎月のように行ってましたね。


——ちなみにどういったお仕事をされてたんですか?

私は機械屋だったんですよ。製本機械の製造。だから小さいときから家の中でやすりやハンマー、金鋸などの道具でギコギコやっていて。いたずらでね。おもちゃ買ってもらうとそれを分解することばっかりやってましたね。分解はするけど組み立ては出来なかった(笑)。親の仕事を継ぐつもりはなかったけれど、理科系のほうが面白そうだからいいかなと思って。何しろ文科系が全然駄目だったんですよ。苦手でしたね。

町会のご自慢を教えてください

一番誇れるのは婦人部さんがしっかり何でもやってくれるというところかな。うちの町会は最近青年部や若い人たちがしっかりやってくれるようになった。婦人部さんは前々からしっかりやってくださってましたからね。私が町会長になったのも婦人部さんに「あんたしか男いないんだから」って半分脅されてなったようなものですから(笑)

——婦人部さんがお強いんですね

強いんです。でも、だからこそうまくいくんだと思うんですよね。婦人部さんが協力的じゃないと、神田の町はお祭りがメインの事業になってますから、婦人部さんにそっぽ向かれたら何もできないですよ。神田祭の時も裏方の仕事を一切やってくださいますからね。私ども男性は御神輿のことでわーわー言ってるだけで済んでますけどね。お願いしますって言ったら「わかった!」と動いてくれますから。だからお祭りができるんだと僕は思いますね。なので一番の自慢は婦人部さんですね。

(錦連合の御神輿)

神田の若い人たちに一言お願いします。

最近ベビーカーを押している若いご夫婦が多いんですよね。そういう人たちがどんどん町会に入って顔を出していただきたいですね。
うちのビルの前にthink coffeeっていうのができて、そこの6階がお子さんと入れるんですよ。なのでお母さん方がサロンのような感じでお茶を飲んでいるみたいなんですよね。それだけじゃなくてもやっぱりマンションが増えて小さいお子さんを連れているご夫婦が増えてきたのでそういう方をどんどん積極的に、定住することは難しいかもしれないけれど、短い期間でもいいから顔を出してくれるといいと思うんですけどね。

——町会に入ることで周りとのコミュニケーションもとれますものね。

定住している人間は「あそこ美味しいよ」などの情報を持っていますからね。
もっとフランクに、我々も相手からすればがっちり固まっていると思われるかもしれないけれど、声をかけてくれれば皆そんなことはないと思っていますから。

——連合町会HPでもそういう方を町会に引き入れたいなと思っているので。そうやって「町会は閉鎖的じゃないよ」っていうのをちゃんと伝えていきたいなとは思っています。

うちの家内が結婚して神田に来て町に顔を出した時、その頃は若い人がいなくて、私どもよりはるかに上の人たちがどっしりと腰を据えていた状態だったので今とは違いますが、「神田って閉鎖的な町ね」と言っていましたからね。

——<小林会長>うちも同じこと言われました。

——そういうイメージは覆していきたいですね。

そういう思いを新しく引っ越してくる方には与えたくないですね。


(think coffee)

地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょうか

なにせ人がいなくなってますからね。企業さんが町会に入ってくれてますけど、協力はしていただけてもなかなか深いところまでお願いすることはできないですから。どちらの町会さんもそうですけど、定住してずっと町会に続いてる人が少なくなって、若い人が少しずつ増えてもやっぱり動けなくなる方のほうが多いんですよね。
ですから町会の若い人や町会に期待することっていうのは、やっぱり企業さんがそういうことにもどんどん入っていただけるようになるといいのかなと。若い人たちも積極的に町会の活動は面倒くさいと思わずに参加してくれると嬉しいですね。面倒くさいとか思わないで、一緒に楽しんで酒でも飲んでわーわー言いながら楽しんでくれればいいなと思っています。


町会活動で楽しいこと、印象的だったことを教えてください。

町会活動といえばやはり神田祭になってしまいますね。私がお祭りにしっかりと関わるようになったのは神田錦町二丁目に移ってからなんです。高校大学の頃っていうのはお祭りがすごく下火だったので。だから御神輿持っていても出せる町会と出せない町会があったんです。警察のお祭りに対する考えも変わったんですよね。今はとてもよくなりました。祭りだったらいいですよと言っていただけるようになってね。大学の時は多町二丁目や神保町の御神輿を担いだりしていましたね。町会もそうだし、神田祭もそうですけど浅草や深川に行ったりして。でもね、お祭りの会に入るのが嫌だったんですよ。お祭りは好きだけど、強制されて御神輿を担ぎたくなかったんですよね。そんなことでいろいろなところに行きましたけどね。だから町会の行事というと、私の小さいときは海に行ったりハイキングに行ったりとかっていうのはあるんですけど、私の中での町会の活動というのはやっぱり神田祭なんですよね。それこそお菓子がたくさんもらえましたからね。

(神田中央連合御神輿の宮入りを迎え入れる丸山町会長)

HPでどんな情報が見られたら良いとお考えですか。

各町会の活動を挙げていただいているけども、少し偏っているかたと感じています。もっとフランクに堅苦しい内容ではなく、見てくれる人が町会員だけじゃないと思うので、外の方も気軽に見られる内容になるといいなと思いますね。
ただ、おかげさまで町会に入りたいという企業の方から連絡をいただくことも増えたのでありがたいなと思っております。


(左が丸山町会長。右がインタビュアーの小林町会長(小川町北三町会))

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