千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

  服部 高明  所長  (平成14年4月〜平成16年3月)

はっとり たかあき
①出身地(都道府県)はどちらですか。
東京であることは間違いありません。
自分がどこで産婆さんに取り上げられたかを、母からきちんと聞いていないのではっきりしませんが、巣鴨か大田区の大森です。物心ついての最初の記憶は大森の雑踏ですが、古いアルバムには、巣鴨の家の縁側でたらいに入っている自分の写真があるので、巣鴨の方が先かもしれません。

②趣味は何でしょうか。
ずっと続いているものは写真です。高校に入って、朝刊配達のアルバイトをして自分のカメラを買いました。キャノンの一眼レフです。捨てることができずまだ手元にあります。当時は、親にもらった昼食代をフィルムや現像薬につぎ込んでしまいました。
遠ざかってしまったのはギターです。中学生のとき親が近所のバザーで買ってきた安いギターで始めました。まったく独学でした。教則本でトレーニングし、好きな曲の楽譜を買って弾けるようになるまで繰り返し練習しました。今は全く弾けないですね。

※写真は、12〜13年前の職場旅行で諏訪湖に行ったとき
③子供の頃の夢を教えてください。
目の前のことにすぐ夢中になる、とりとめない性格だったので、小さい頃は具体的に形になった夢はありませんでした。
記憶に残る最初は、細菌学者だったと思います。図書館で借りて読んだ、ルイ・パスツールやロベルト・コッホの伝記に夢中になったことからでした。今思うと、研究では実験動物をたくさん殺さなくてはならないし、疫病の流行地域では命がけで調査するし、自分にはとてもできないことなんですが、子供向けの本ではそこまでわかりませんでした。

④出張所長になられたのはいつですか?
平成14年のことです。神田公園出張所は、私より前に土手さん、袴田さんという保健所出身の所長がいました。事務所も今とは違い、歩いてすぐでしたから、すうっと入っていけそうな気がしたものです。


⑤出張所長のご自慢(大切にしているもの)は何でしょうか。
家族的な雰囲気で、神田公園一家とでも呼びたいような職場の一体感。
不慣れな所長を、町会長さんはじめ町会の皆様に育てていただいた経験は自分にとっては宝のようなものです。
活性化事業で「神田を歩こう」を制作したときの、ものづくりの熱気。
関係者の方々の力で、脈々と守り発展させていただいた神田公園地区のホームページ。
立ち上げに関わっただけですが誇らしい気がします。

写真は、平成15年の活性化事業で街歩きをしたときのもの(一番左で扮装しています。)
⑥千代田区内で好きな場所はありますか(お気に入りの店でも。)。
神田公園地区を中心に、神田の路地、横丁。ちょっと時間の余裕があれば、横道にそれてうろついてしまいます。
春、早い桜の咲く頃の竹橋から近代美術館、武道館にかけての眺めはいいなと思います。

⑦町会活動で楽しい事は何でしょうか。
出張所時代にお知り合いになれた方が、職場(保健所です)に元気なお顔を見せてくださるとき。


⑧神田の若い人たちに一言お願いします。
神田ファンはきっと数多くいることと思います。「神田の生まれ」は、今でも江戸っ子の代名詞でしょう。神田っ子がそれぞれの学校や職場で生き生き輝くことが、神田を元気にすると思います。

写真は、同じく平成15年の活性化事業のとき。事業の合間に、記者から取材を受けました。
⑨ホームページ「大好き神田」に今後期待することは何ですか。
HPの枠を超えたメディア・ミックスとかタイ・アップとか、そんなものが何かできたら、注目度もアップして新たな展開に結びつかないかなあ、と思いました。

⑩その他(何でも)
最近、はやりの塩麹を作っています。一週間くらいでできます。まだ試した例は少ないですが、水切りした木綿豆腐を1-2日漬けたのは好みです。白身の魚や鶏肉を漬けるのは、珍しさはないものの定番の美味しさです。

外出することが少なく、神田公園地区になかなか行けないのが悩みです。

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