千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

  新治 博  所長  (平成21年4月〜平成23年3月)

にいはり ひろし
①出身地(都道府県)はどちらですか。
東京都(文京区)です。旧町名が駒込林町(現千駄木)で、近くには森鴎外の観潮楼、夏目漱石の猫の家や彫刻家の高村光雲宅など文人墨客の旧居や学校・社寺が多い地区でした。丁度台東区の谷中、根津と一体で「谷根千」地区といわれ下町的な雰囲気も持った地域でした。江戸川乱歩のD坂殺人事件の、団子坂を上がった北側の地域となります。

②趣味は何でしょうか。
無芸大食ですが、小さい頃は、耳の遠い祖父にテレビのプロレスの解説を口伝えしていたためもあり「プロレス観戦」、山登り、武道などをかじったこともあります。(諸般の事情で、現在は時間がなく遠ざかっています。)現在まで、続いているのは犬の飼育(最近は猫も飼っています。)でしょうか。

③子供の頃の夢を教えてください。
余り深くものごとを考える性質でなかったようで思い出せないため、『小鳥の歌』という小学校の卒業文集で確認したところ「捕鯨船に乗って鯨をとったり、南極にいったりしたい!」などと書いてありました。
小学校と中学校だけは地元の学校に行きましたが、基本的にはランドセルを放り投げて、近くの公園や空き地にすぐ遊びにいくタイプの子どもでした。勉強は余りできませんでしたが体育や図画工作の時間は元気になりました。習い事は、机に向かって座っているのが得意でなかったため、小学生4年〜6年の3年ほど、近くの警察に少年柔道教室に通いました。

※写真は鎌倉臨海学園廃園の際に、倉庫にほこりをかぶっていた有島生馬(白樺派、セザンヌの紹介者)の牡丹の絵(芍薬?)が修復され、旧番町小学校ランチルームで記念写真を撮った時のものです。

④出張所長になられたのはいつですか?
平成21年4月(古川連合会長・岩崎連合会長の時代)から2年間お世話になりました。(配属された21年5月は神田の本祭りの年でした。)

⑤出張所長時代のご自慢(大切にしているもの)は何だったでしょうか。
「まちに出よう!まちを知ろう!」をモットーに、神田公園地区の路地もなるべく隈なく自転車や徒歩で回って神田の猫たちと話?をしたり、工事など注意して観察するように努力しました。ほとんどの路地は踏破しました。

⑥千代田区内で好きな場所はありますか(お気に入りの店でも。)。
靖国神社に向かって九段坂を上る途中から見る牛が淵の風景は、手前に石垣とお堀、さくらの木の間越しに遠くに丸の内・神田方面のビル群と奥行きのあるゆったりとした風景

⑦現在の職場で楽しいことは何でしょうか。
「税と社会保障の一体改革」ということで、新聞やテレビで話題になっている今日的な課題について、自分が直接かかわっている医療保険や年金について、現実と報道との接点についてどのような伝えられ方をしているのかなど仕事と直結しているため責任感と働き甲斐を感じています。

※写真は、10年ほど前に鎌倉市教育委員会の研究協議会の参加したときのもの、駅近くの御成小学校で子どもたちと。


⑧神田の若い人たちに一言お願いします。
僭越ですがお祭りに見られる神田の集中力・結束力を、ベクトルを空間的には、外へ向けて大きな土俵で、時間的には古き良き神田の心意気を次世代につなげていく、チャレンジを期待しています。

⑨ホームページ「大好き神田」に今後期待することは何ですか。
「歴史写真館(できれば思いで話と一緒に)」のコーナー・・・まだまだ埋もれた写真あるような気がします。今後のますますの充実期待しています。
大好き神田の存在を、23区や全国の方々にもっと知ってもらって、地域単位のミクシーみたいなネットワークができると良いですね。

⑩その他(何でも)
保険年金課に異動して、神田公園地区が多様個性をもった、多様な
人々を受け入れる包容力のある、ふところの深い地域であること再認識
しています。

※写真は、ヨセミテ国立公園のエルキャピタンをバックにしたもの(20年前)

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