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東日本大震災から4年が経過した今、東京直下型地震のリスクを抱えて、どう暮らしていくか、大都会の町会としてどうするか。 東京大学准教授の工学博士加藤孝明先生を講師にお招きして、「地域からすすめる防災まちづくりのポイント」というテーマで2時間にわたり、有意義なお話をいただきました。 |
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講演に先立ち、横田連合会長から「東日本大震災から4年半が経過しました。今日の講演会を契機に、皆さんと一緒に改めて気持ちを引き締めていきたい。加藤先生のお話から、災害に対処するためのヒントをいただけると期待しています。」とご挨拶がありました。 |
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「首都直下型の巨大地震の起こる周期はおよそ200年、1923年の関東大震災の200年後は2123年だが、巨大地震の前100年間に阪神淡路大地震並みの小さい(?)地震が頻繁に起きると言われている。それらは、震源や発生時刻によっては大火災が発生し、過去の事例からは予測のつかない被害になる可能性がある。 そのような自然災害の中で人は生かされている、リスクは“0”にはならず、どう共生していくか考えなければならない。 一方、人間は都市に住むとき、自然災害について考えなくなる。危険はわかっていても根拠がなく自分は大丈夫という心境になる「正常化の偏見」を本質として持っているそうだ。 |
「自助・共助・公助」は幸せになる魔法の言葉のようだが、自分の命は自分で守るという「自助」では、家具の固定率が東日本大震災前で全国平均では20%台、今ようやく東京では60%弱程度という状態。 「共助」では、地域の防災訓練に参加する人はするが、参加しない人は考えることさえしないという自己満足が現実。 「公助」は、阪神淡路大震災から11年が経過した平成18年の時点の公立学校の耐震化率は11年かけても約50%、限られた財源の中でボチボチやるしかないという言い訳。 「自助・共助・公助」が、その地域で起こりうる事態を想定しているか、お互いに何をどこまでやってくれるかを理解すると、足りない部分が見えてくる。敵がわかって、自分たちもこの程度という足りない部分が見えてくる。その共通認識に基づいて自主的に対策を進めていこうという機運が出てきて、初めて「自助・共助・公助」が実現できる。 |
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過去の災害を学びすぎると、条件が変わったときに起こりうる被害状況の想像を妨げる。都市における地震火災イコール阪神淡路、津波災害イコール東日本になってしまう。今の時代や地域に翻訳して備えなければならない。 3.11では渋谷で24時間営業の居酒屋に居られたが、首都直下型地震では食器も割れ電気も水も出なくなる。 |
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訓練とは条件反射的にすぐ動けるということだが、考えずにできるということと自ら考えることの両方が必要、そのバランスが必要。 ある小学校では、“地震が来ました。机の下にもぐってください。脚を持ってください。”と言ったとき、机の脚ではなく、自分の足を持った子供がいるという。 また、東日本大震災の時に、初めての避難所生活で、誰もがわからないことばかりだったとき、中高生が自ら考えて行動し大人以上に頼れる存在として大活躍をしたが、その後、学校が始まるとみんな元の子どもモードに戻ったという、陸前高田高校の元校長の話では、学ばされる場と自ら学ぶ場が必要ということがわかる。」 |
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(※事務局のマイクの調整により聞きづらいお席が一部ありましたことをお詫びいたします。) 参加者から、超高層ビルの建設計画があるが、長周期の地震に対応できるかという質問がありましたが、新しいものについては対策が考えられている、むしろ古い建物が心配だということでした。 また、マンションのエレベーターが止まったり、家具が転倒して下敷きになった時の対応をお聞きすると、その前に家具の固定をしておくこと、マンションの上層階と下層階の人たちとの普段からのコミュニケーションの必要性を話されました。まさに、自助・共助ということでした。 |
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